「はじめてのインド哲学」 立川武蔵 1992年 講談社現代新書
古い本ですが、版を重ねて22刷。ブックオフでみかけて、やっと読む機会を得ました。定評のあるものって、やっぱり凄いんですね。10年やそこらで古くなってしまうものとは、雲泥の差です。最先端の量子力学とインド哲学とは、何故か符合しています。そして、[エネルギー〜素粒子(空間/質因)〜原子〜生命分子〜生命体(時間)]という連続性とその進化とも通底します。面白い!ありがとうございました。 以下はこの本の要約と引用です。
■ プロローグ
インド精神の最も重要なテーマ「自己と宇宙の同一性の体験」を軸として、インドの精神史を追う。
■ 自己と宇宙の同一性を求めて
インドの精神的伝統は、人間の一つの個体を、この宇宙の根本原理と同一であると主張してきた。「私が宇宙であり、宇宙は私である」。我々は「今、ここにいる」自己意識をもって生きている。自己意識を生ぜしめるのは何なのか。我々は、自分の身体を中心にした周囲世界を、意識の中でとらえて心空間を表象している。
生命体が持つ時間は、宇宙の時間と同質である。この世界の外に、変化を超越した絶対存在を考えない。
エネルギーは宇宙を膨らませ、万物に姿を与え、その姿に許された時間が無くなれば収束する。誕生と、生成と、生滅。空間と時間。宇宙と事故の同一性。
自己(個我=在我:アートマン)と宇宙(宇宙原理:ブラフマン)の同一性の経験。その手段は、苦行、ヨーガ、秘儀。
世界を超越する創造神を認めないインドの人々が求めた「神」は、「世界(原理)」という「神」であった。自己と宇宙以外には何も存在しない。
■ 汝は「それ」である − ヴェーダとウパニシャッドの世界
紀元前2500年頃、インダス河流域に都市文明が栄えていた(インダス文明)。そこに残された文字は、まだ解読されていない。多神教の存在を物語る多くの像があるのに対し、宇宙や世界の構造を描いた図像は存在しない。寺院や祭壇も見つかっていない。
鉄器を用いるアーリア人が、銅器を用いるムンダ人やドラヴィダ人たちを圧倒し支配した。紀元前1500年頃、パンジャブ地方を占拠した。これ以降、インド文化の中核となるのはインド・アーリア人である。アーリア人は牧畜を主とした。
神々を地上に呼ぶ祝詞をうたう歌い手集団が、後のバラモン僧階級となった。「リグ・ベーダ」は、神々への賛歌。英雄神インドラ、火神アグニなどに捧げられた歌が主要部分をなす。「リグ・ヴェーダ」は紀元前12世紀から紀元前9世紀に編纂された。そのうち、宇宙創造に関するものは末期のものである。
「リグ・ヴェーダ」の「宇宙開闢の歌」に曰く、「宇宙始原の時、無もなく有もなかった。空も時も無かった」「始原の時、空虚に覆われて現れつつあるもの、熱の力によって生まれ出た」「最初にかの唯一物に意が現れた」「詩人たちは、心に探し求めて、有の資源を無に見つけた」。宇宙は自らの変化によって「展開」した。
解体されたプルシャ(原人)の体から、この現象世界が生れた、と「プルシャの歌」は言う。「生贄として捧げられたものの体から生類が現れた」というのは、全世界に広がる神話の類型だ。プルシャは、現象世界を構成する「質料」であり「原質」である。
下層階級の風習を伝える「アタルヴァ・ヴェーダ」は、現象世界を理解しようとする。「支柱(スカンパ)の歌」では、支柱が世界を支えている。この柱のイメージは、多くの民族に共通に現れる(世界軸)。また、原人プルシャとの類似性も明らかである。そして、世界の支柱としてのブラフマンは、インド哲学の根底のイメージとなる。
ヴェーダ文献において、「ブラフマン(梵)」は「呪力」を意味する。祭司はブラーフマナ、経典は梵書(ブラーフマナ)と呼ばれることになる。
ヴェーダを中心とする儀礼中心主義への疑問。聖典「ウパニシャッド」は、新しい道を選んだ人々の思弁の跡である。「ウパニシャッド」の基本思想は、「万物はブラフマン(宇宙原理)であり、ブラフマンはアートマン(自我)である」という命題に総括できる。ウパニシャッドの哲人たちは、「直感」によって宇宙原理を直証した。「アートマン」は気息を意味する術語。ブラフマンは、質量のあるもろもろを動かす力(質料因)、背後に潜む力(エネルギー:動力因)である。
どのように小さな粒にも、宇宙の力はみなぎっている。しかも、世界の全体よりも大きい。一切万有を保持するもの、アートマンである。
一切のものはブラフマンである。一つのまとまりであることによって、アートマンでもある。力としてのブラフマンは、一切のもののうちに働いており、ブラフマンはアートマンである。アートマンがブラフマンなのだ。
■ 仏教誕生 − 仏陀からアビダルマへ
紀元前5世紀ごろになると、インド東方に進出したアーリア人は先住民との混血も盛んになった。新しい民族は、ヴェーダを中心とするアーリア人の伝統に忠実に従うことはなかった。国土は肥沃で、商工業も盛んになった。諸国王や諸都市は、哲学者を招いて討論会を開いた。このような自由な雰囲気の中で、非バラモン系の哲学や宗教が育っていった。
仏教は商人や武士によって支えられた。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラも武士階級の出身だった。
ゴータマ・シッダールタは、宇宙原理の存在を認めず、自己の周辺世界以外の世界を認めなかった。自我とは何か。自我はもともと存在していない、宇宙の根本原理の考察に関わる必要などない、と仏陀は主張した。形而上の議論よりも、実践によって智慧を得ることが重要である。その智慧は、縁起を理解し、実践することだった。但し、仏陀が唱えた縁起説がどのようなものであったもかは不明である。
縁起説の眼目は、世界の構成要素が相互に依存関係にあることを説明することにあったと考えられている。仏陀にとって、世界は感官によってとらえた心身であり、周辺世界だった。世界は自己にとっての世界である。
仏陀の滅後300年ほどは、仏陀の教説の解釈を一つの体系にまとめる活動が盛んだった。この体系は「アビダルマ」と呼ばれる。アビダルマとは、もの(法/存在)に関する学である。
アビダルマの最も有力な学派が「説一切有部」である。整備された形は、世親が著した「俱舎論」に見られる。説一切有部は「一切のもの(法)は存在する」と考える。宇宙原理の実在性や霊魂の永遠性を認めない仏教の伝統にあって、この考え方(実在論的傾向)は異端だ。アビダルマ仏教は、世界を有限個の要素の組合せと因果系列によって説明する。
■ バラモン哲学の成立
紀元400年頃までにバラモン六派哲学、サーンキャ、ヨーガ、ヴェーダーンタ、ミーマーンサー、ニヤーヤ、ヴァイシューシカが成立する。ヨーガ学派は、サーンキャ学派を基礎としている。バラモン哲学は、原因と結果の関係と、属性と基体の関係により分類される。
原因はそれ自体の中に結果を持っているという考え方の典型は、サーンキャ学派。根本物質である原質(プラクテリティ)は不滅であり、この物質が原因と結果の関係に基づいて時間の中で展開することによって現象世界が形成される。
現象世界の様々な物体を、原子の集合体とみなす「集合説」。集合説は因果関係に関しては、因中無果論(原因はそれ自体の中に結果を持っていない)ととる。原因としてのものが集合することで結果が生れると考える。ヴァイシェーシカ学派は、「原因は結果に先行する」とした。
属性や運動などの全てのものを取り除いた基体、つまり実体そのものとは何かが探求された。「法(ダルマ)」は存在するものを指す。普遍は個物ではなく、共通して存在する法である。一方で、実体の実在性を認めない者たちもいた。実体がないものは実在しないからだ。ヴァイシェーシカと仏教は、属性と実体、普遍と個物を区別しない立場をとる。普遍の実在性を認めない。仏教は基体の実在性も否定する。
西洋にも実在論と唯名論があある。プラトンとアリストテレスのイデア理解の違いに遡る。キリスト教は実在論をとる。
実在するのは色のある物体である。14世紀にオッカムによって唯名論が復活し、イギリス唯物論の先駆となった。
■ 大乗仏教の興隆
紀元前1世紀に、中央アジアの遊牧民であった月氏族の中のクシャーナ族が、北西インドへ侵入した。カニシカ王は一大帝国を建設した。ガンダーラ地方には仏教美術が生れた。
南インドにおいては、アンドラ朝が勢力を得ていた。僧たちを中心とする上座部仏教ではなく、武士や商人たちによって支えられた大乗仏教が生れた。
南インド出身の竜樹(ナーガールジュナ)は、説一切有部を批判し、唯名論を主張した。竜樹の主著は「中論」。竜樹は「縁起は生じないもの」と主張し、「縁起」と「空」を統一した。竜樹にあっては、実体も属性(法)も存在しない。全ての言葉が止滅に導かれたとき、概念作用では捉えられない真実が顕れる。竜樹はこれを「空」と呼ぶ。竜樹は「縁起」の世界を仮説として、言葉によって成立したものとして再生する。
「俱舎論」の著者世親は、唯識哲学を確立した。我々が見ている対象は、我々の認識の結果にすぎない。唯識哲学は、仏陀が周囲世界以外を認めなかった態度を、唯心論的に継承した立場といえる。物質世界は、全て認識と言う姿をとる。それは実体ではない。世親は、世界を根本物質の展開とは捉えずに、認識の展開と捉えた。
唯識哲学は、一人の個体の認識から捉えた世界が、無意識の次元も含んで全て認識であるとする。その表象を全て止滅したとき、やがて智慧となる。唯識学派は、心作用を浄化するヨーガの行法に関する理論でもある。
■ バラモン哲学の展開
ヴェーダーンタ学派の基礎は、バーダラーヤナによって築かれた。彼の学説が整理されて「ブラフマ・スートラ」ができあがった。
仏教においては、客観と主観、能動と受動、有と無、などがなくなった境地「空」を目指す。シャンカラは、世界を非存在と考える点で、仏教に近い。
ラーマーヌジュは、南インドに生まれた。ヴィシュヌ崇拝の影響を受け、ヴェーダーンタ哲学を学んだ。主著は、「ブラフマ・スートラ」の注である「聖注」と、ヒンドゥー教の聖典「ヴァガヴァッド・ギーター(神の歌)」に対する注。ヴァガヴァッドは、 ヴガ(恵)をヴァッド(垂れるもの)、すなわち神を意味する。ヴァガヴァッド・ギーターの神はヴィシュヌである。
叙事詩「マハーバーラタ」の中で、百王子と五王子の戦いの直前に、五王子の第二王子アルジュナに神ヴィシュヌが語る言葉が「ヴァガヴァッド・ギーター」である。ヴィシュヌは、アルジュナの戦車の御者クリシュナとして語る。
現象と行為の寂滅を旨とする仏教が、現実の生活を受容する11世紀のインドで、仏教は勢力を失った。ヒンドゥイズムは、地方文化の影響もあり、ヴィシュヌ、シヴァ、女神(ドゥルガーやカーリー)などの人格神との交わりが信仰の核心であった。恵みを与えるものが、属性を持たないブラフマンではありえない。ブラフマンとヴィシュヌを同一視することによって、人格的な交わりが約束される。
時代が下るにしたがって、世界と個我が実在性を主張する。
■ タントリズム(密教)の出現
タントリズムは、まず仏教において盛んになり、ヒンドゥイムズ、ジャイナ教にも広まった。
密教経典のことを「タントラ」と呼んでいる。顕教の経典である「スートラ」に対応した呼び名である。
タントラは、儀礼や象徴の要素を多く含んだ宗教形態である。タントリズムの重要な要素であるマントラ(真言)は、ヴェーダのマントラを継承したもの。ヴェーダ祭式のエロ―ティックな所作と象徴は、タントリズムを先取りしている。
タントリズムは、土着の要素に影響され、非アーリア要素を持っている。
「大日経」はヨーガの実践、シンボリズムが統一されている。仏教タントリズムは、この経典によって確立された。空海は密教の経典とマンダラ図を持ち帰った。
無上ヨーガ・タントラには、腕や脚が何本もあり、男神が女神を抱いている仏が登場する。
古来からインド人は、精神の至福と世俗の繁栄を矛盾なく求めてきた。ダルマ(正義・名声)、アルタ(財・金)、カーマ(愛欲)、モークシャ(解脱)を人生の目標としてきた。
密教では、煩悩を否定しなくとも、至福は得られる。むしろ有効な手段ととなり得る。
儀礼中心主義。決められた日時と場所と次第に対して、人々は準備をし、集団の気分を高めていく。集団儀礼が共同体の一体感を高める。
仏教タントリズムは、バラモンのホーマ祭(護摩)を取り入れて、日の中で供物を焼く行為を、煩悩や業を焼き尽くす行為と捉えた。
男性原理としての活動と、女性原理としての知恵の二つの原理の統一。仏教タントリズムの儀礼においては、男性原理は金剛(インドラの稲妻/中国でダイヤモンドと同一視)、女性原理は鈴によって象徴される。金剛と鈴を両手に持ち、男と女が合一へ向かう。
盃として用いられる頭蓋骨。無上ヨーガ・タントラにあっては、血は「悟りの知恵」である。女神を崇拝するシャークタ派。女神(妃)は男神の力(シャクティ)である。シャークタ派では、血の儀礼が重視される。
タントリズムにあっては、世界も仏も全てがシンボルに置き換えられる。記号の集積の中で儀礼が行われる。仏陀は、神話を持つ阿弥陀仏となる。「阿弥陀経」は初期大乗仏教経典の代表である。
後世のタントリズムの中では、仏たちも世界の中に住まうようになる。華厳経では盧舎那仏が登場し、この神格が後に大日如来の核となったと考えられる。。大日如来は阿弥陀仏とは違って、世界の深奥に存在する。ヒンドゥーのヴィシュヌやブラフマンと似ている。大日如来は、如来よりも人間に近い菩薩の姿で表現される。大日如来が世界に充満しており、世界そのものであり、大日如来が自己にほかならない、という仏教タントリズムのテーゼは、ウパニシャッドの「汝はそれである」と符合する。仏教は、バラモン教やヒンドゥー教に近づく。
古典ヨーガは心作用を寂滅し、智慧を顕現させる。タントラのヨーガでは、心作用は否定されず、肯定されるエネルギーと考えられた。
仏教タントリスト達が、宇宙と事故の同一性を直証するために作りだしたシンボルがマンダラである。そして、宇宙のシンボルとなっていく。マンダラに描かれるのは、身体という小宇宙であるとともに、世界という大宇宙のシンボルでもある。
シヴァ聖典では、パラマ・シヴァ(最高シヴァ)とパラー・シャクティ、男性原理と女性原理の活動によって、宇宙の生成と構造を説明する。シヴァ神と個我とが存在する場である世界の形成は、シャクティの現れであるマーヤー(幻)による。ヒンドゥイズムは世界を実在と考えるが、ヒンドゥー・タントリズムではその傾向が特に強い。
■ 世界の聖化の歴史
インド文化も、人種・地域・文化の交叉や混交によって形成されてきた。ゴータマ・シッダールタは、純粋なアーリア人の血筋ではなかった。仏教はその後、非アーリア文化の代表となって、バラモン文化と抗争を続ける。
上座部仏教から大乗仏教へ、そして仏教タントリズムへ。今日の世界では「聖なるものの」の価値が失われ、世界は俗化されている。