「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎 1982年 岩波文庫
宮崎駿氏の映画と同タイトル。なんとなく手に取っちゃいました。 軍国主義に向かう日本の中で、ヒューマニズムの立場からの訴え。それなりの意味はあったと考えられます。 以下はこの本で印象に残ったものです。*印は私の意見です。
とにかく、人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ。 … 殊に、損得に関わることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常に難しい。
…言われたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとすならば … 君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。
ニュートンの発見というのは、地球上の物体に働く重力と、天体の間に働く引力が、同じものだということを実証したところにある。
人間はみんなつながっている。(生産関係)は、人間らしい関係ではない。
*[生産関係 ⇔ 人間関係 〜 煩わしい関係 / 思いやる関係]
ナポレオンは、封建制度を打倒して自由な世の中を作ろうと努力していたフランスを守るために役に立っていた。うち続く内乱に乗じて権力を一身に集めたけれど、世の中が落ち着いた。「ナポレオン法典」は方々の国の法律の模範となった。
良い心がけを持っていながら、弱いばかりにその心がけを生かしきれないでいる、小さな善人は多い。
心に感じる苦しみや辛さは、人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを知らせてくれるものだ。
自分勝手な欲望が満たされないからといって、自分を不幸だと考えているような人もある。こういう人たちの不幸は、欲望や虚栄心を捨てれば無くなるものだ。
アレクサンダー大王は、インド遠征からバビロンに帰り、ここを新しい帝国の首都に定めた。その年、大王は32歳の若さで死んでいった。大王の理想は、西洋の文明と東洋の文明が溶け合った帝国を建設することであった。彼は自分から先立って、ペルシャ王の王女を妻に迎え、将士にもペルシャの婦人と結婚するように勧めた。遠征の途中の要所にギリシャの町を作って、ギリシャ人を定住させた。ペルシャ人をギリシャ化し、ギリシャ人をペルシャ化して、東西の文明を結びつけようとした。
バクトリア(今のアフガニスタン)には、たくさんのギリシャ人が住んでいた。このギリシャ人たちがインドの西北部に流れ込んだ。この人々は、ギリシャ文化の流れを伝えていると共に、インドの文明の中にも浸って生きていた。ギリシャの彫刻技術も知っていると同時に、仏教の宗教的空気も呼吸して暮らしていた。この人々によって、仏像が生れてきた。
奈良の大仏の技術は志那から学んだ。志那はそれをインドから学んだ。もとをさかのぼれば、ガンダーラの仏像までつながっている。
