仕事で新橋に出る用事があったので、上野に寄ってみました。いつもは殆ど見ることのない密教関連のものと刀剣が中心です。今読んでいる考古学の本「馬・車輪・言語」に影響されちゃいました。
まず本館一階から。
善光寺式阿弥陀三尊像(鎌倉時代/福島-如来寺)。善光寺の本尊はインド伝来と伝えられる秘仏。善光寺式阿弥陀三尊像は鎌倉時代以降に多く作られました。奈良平安時代には、大和朝廷に障りがあり、作るのが憚られたのだろうと、私は考えています。
この像は比叡山にあったと考えられています。毛束を編んだような髪型や巻きスカートが膝までめくれる表現、左足の踵を上げる点など、天台宗の不動明王の特徴が認められます。
熊野神社の役行者は銅などを求めて関東から東北の山を駆け巡った「山師=修験者」ですが、蔵王権現は元はともあれ、護摩祈祷でお布施を掻き集める水手に泡の商売人(詐欺師ではないが近い)。天台宗に利用されたのが身の不運でしたね、というのが私の考え。
特集「浅草寺のみ仏」も、密教-天台宗の仏たちを見ることができます。浅草寺は観音霊場の一つ。天台宗の古刹としても知られます。
愛染明王坐像(鎌倉時代/浅草寺)。煩悩すら悟りに昇華させる密教では、愛欲を司る仏として愛染明王が信仰されました。太陽を象徴する光背に赤い身色が特徴。小像が多いのは、儀礼自体が秘されたためでしょう。浅草寺の裏手は吉原。密教は性欲を秘する宗派ですから、仏像だけでなく、実際の性愛とも隣り合わせでした。
緊張感が伝わってくる像です。肉の張り詰めた感じ … この不自然さが印象深い。
平成館の考古室へ。
遮光器土偶(秋田県-六郷石名館/縄文晩期)。遮光器土偶(宮城県-恵比寿田/縄文晩期)。土偶は、安産や豊穣を祈るために用いられたと考えられています。遮光器土偶は、大きな目とデフォルメされた体の表現と、全身を覆う文様が特徴です。
この文様が刺青だとしたら … 姉御!と呼ぶべきなんだろうか ?(^▽^)?
結構歩いてくたびれました。いつものように、大戸屋で鯖の炭火焼を食べて新橋に移動です。