「日本語はどういう言語か」 三浦つとむ 1976年 講談社学術文庫
随分前に話題になった本。ブックオフで見かけて買っちゃいました。小学校で「日本語(国語)」を教えることになったので、「それなりに」読んでみようかと。なのですが・・・言葉って、「カラスの勝手」で何とでも言える。だから難しい、だから面白い、だから伝わればいい。やっぱり、そうでした。「言葉『を』考えることはあっても、言葉『で』考えることはできない」。論理思考とは無関係なのが言語学/論理学です。 以下は、特に印象に残った部分の引用です。*印はWEB検索結果と私見です。
その前に、私は言語が苦手なので、日本語の大雑把な品詞の分類を、ネット検索で確認しました。
*日本語の品詞
動詞: 自発的に行動する様や受動的に作用を受ける様を表す。例: 書く、読む。
形容詞: 物事の状態や性質を表す。例: 美しい、静かな。
名詞: 物事の名称を表す。例: 電子機器、地球。
副詞: 動詞や形容詞の動作や状態を修飾する。例: 早く、きれいに。
接続詞: 文のつなぎ目を表す。例: しかし、また。
感動詞: 感情や反応を表す。例: ああ、ほんと。
助動詞: 動詞の活用を表す。例: する、きる。
助詞: 名詞や動詞の意味を添える。例: が、に、を。
■ はじめに
言語学の建設はヨーロッパの学者が中心になって進められてきたために、ヨーロッパ語の特殊性でしかないものを言語の共通性のしてしまっているところもあります。
■ 言語とはどういうものか
絵画と文字をどこで区別するか。言語も絵画も、人間がその認識を外面化するという点で共通しています。
絵画は、自分の位置を示そうと意識しなかったにもかかわらず、画面に作者の位置を示します。客体についての表現をすることが同時に主体についての表現を伴います。客体表現と主体表現の統一体。主体表現には見かたや感情の表現も含まれます。
「本がある」の「ある」は、語り手が捉えた相手のありかたの表現ですから<動詞>。「本『で』ある」の「ある」は、話し手の判断そのものを示す語ですから<助動詞>として扱います。
言語は意味を持つ。意味とはどんなものか。直感的には知ってはいるが、理解してはいません。
芸術の内容は作者の認識であるという説明ち、芸術の内容は鑑賞者の認識であるという説明があります。
時枝誠記は、言語それ自体が意味を持ちあるいは文章が内容を持っているという考えを否定しました。
音声や文字の種類にむすびつき固定された客観的な関係を言語の「意味」と呼んでいます。
言語の重要な特徴の一つは、対象の感性的なありかたと表現形式の感性的なありかたとが直接の関係を持っていないという点です。「記号と記号で示されている物との間には関連がない」(S・I・ハヤカワ)。言語は事物と似ていません。感性的な面は、音や字形の表現などです。
辞書が教えてくれる「字義」。「意味」は、「字義」に相当するものを含んでいます。
■ 日本語はどういう言語か
世界の言語は三つに分類されています。孤立語は、単語の形に変化がなく、主として単語の位置で文法上の関係を表す言語。代表は中国語です。屈折語は、単語の形を変えて文法上の関係を表す言語。ヨーロッパ言語の多くが属します。癒着語/粘着語は、文法上の関係を表す短い語を他の語に密着させて使う言語。日本語は癒着語に属します。
言語の発展を調べてみると、屈折が少なく単純になっていきます。
助詞と助動詞を使うことは、癒着語の特徴です。江戸時代の学者は、<助詞><助動詞>を<てにをは>として、一つの単語として扱ってきました。
数学や物理や化学の文章は、横組みにするのには合理性があると言えましょう。
人間の目玉が横に二つ並んでいる。人間の視野は横の方が長くて、大体三対四の比率を持つ楕円形になっています。活字の印刷物は「見る表現」ではなく、「読む表現」です。日本語は単語の数が多くなります。一字語が単語のかなりの部分を占めます。日本語は、単語と単語の間が密着しています。文庫版を横組みにすると、英語に比べて二倍に近い単語が、いっぺんに視野に入ってきます。視野に映ってくる単語の数が多いと読みづらくなるのは、縦組みでも横組みでも共通です。
時枝誠記氏によって「言語過程説」とそれに基づく日本語の研究が提出されました。[対象 → 認識 → 表現]の過程構造の関係において理解する必要があります。
■ 日本語の文法構造
・代名詞
人称:一人称、二人称、三人称。一人称では、話し手とは別個に、自分が対象化されます。事物との関係:近称「これ」、中称「それ」、遠称「あれ」、不定称「どれ」。これらの語から「れ」を取ったかたち「この絵」なども使っています。
日本語には、夫と妻が平等に、しかも尊敬と愛情をこめて呼び合うのにふさわしい言葉が、見当たらないのです。
*私は、「連れ合い」という言葉を使っています。お互いがお互いを愛しみ連れ合う、という意味を込めて。
・動詞と形容詞
この種類の語は使い方によって語尾の形が変化します[活用]。
基本の形 未然形 連用形 終止形 連体形 仮定形 命令形
書く か/こ き/い く く け け
外国語の動詞での語尾変化は、日本語の複合語や動詞と助動詞を組み合わせたものに相当します。日本語は、他の語とのつながりの関係で起きる形の変化で、それ自体なんら特別な意味を持ちません。「書け」に仮定の意味が含まれません。
「ある」と「いる」。「ある」は動かないもののとき、「いる」は動くもののときに使います。「奥さん、いいアサリありますよ」。
漢語には動詞的な内容を持つものがありますが、活用を欠いているので直接に接尾語や助動詞を結びつけることができません。そこで<抽象動詞:する>を使って、この活用を利用します。[成功する → 成功しなかった]。
日本語の受身は癒着語的に作られるので、他動詞だけでなく自動詞でも簡単に受け身になります。
「本がある」の「ある」は動詞。「本がない」の「ない」は形容詞です。対象をどう捉えるかによって動詞にもなれば形容詞にもなります。形容詞の活用には命令形がありません。
基本の形 未然形 連用形 終止形 連体形 仮定形 命令形
正しい く く い い けれ −
動詞の対象となるのは、運動し変化する存在です。形容詞の対象となるものは、変わらない存在です。「砂糖は甘い」。夜が明けるときには、「白む」と動詞の形をとります。
話し手の対象の捉え方いかんで、同じ対象が動詞として表現されたり形容詞として表現されたりします。[形容詞「痛い」 − 動詞「痛む」]。
動詞は属性を、運動し発展し変化するものとして捉える。形容詞は属性を、静止して固定し変化しないものとして捉える。これも日本語の形容詞の持つ独自の性格です。
接頭辞「さ」は「甘さ」のように、形容詞の語幹に結びついて名詞になります。
動詞につけ加えて使う語のうち、活用のあるものを「助動詞」、活用のないものを「接尾語」に分けられています。漢語につけられたものは、それまでに使われていたままの日本語です。江戸時代の学者には、古典語のナリ活用・タリ活用を特殊なものとして区別することはありませんでした。
・副詞と助詞
「花咲く」 → 「花が咲く」/「花も咲く」/「花は咲く」。対象の捉え方が違うと「助詞」も違ってきます。助詞には一つの語がいくつもの使い方をされることがすくなくありません。
「人が死ぬ」「人は死ぬ」。助詞は日本語に独特な語です。「が」は小さな部分に、「は」は広い部分に使います。「は」には、個別を扱う場合と普遍を扱う場合があります。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第一条)。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(憲法第九条)。
・助動詞
過去や未来のあり方を取り上げる場合、ヨーロッパの言語では、動詞の語尾変化で表現しますが、日本語では助動詞を使います。
どの国の言語でも、現在形が現在のありかただけをとりあげているだけではありません。時間を超越した対象にも現在形を用い、過去や未来をも現在形で表現することがあります。時制は主観で、「時の区別」ではありません。
過去現在未来は時間的な存在について言われるのですが、事物そのものではありません。「現在」は、彼そのものが持っている時間的な性質ではなくて、そう考えている私すなわち話し手との間に、「現在」と呼ばれる関係が成立していることです。
■ 解説 吉本隆明
[対象-認識-表現]という三浦言語学の骨組みは、文学作品を創造するものの側からたどる。
三浦つとむは、時枝誠記の仕事を受けて、<てにおは>を主体表現と呼び、「話しての持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語」と規定している。
文法の背景には、認識の動きの法則性がある筈だ。
