以前から、縄文人の末裔としては、行かないとな〜、と思っていた遺跡。女房を誘って行くことができました。

20201220X5s001 20201220X5s006
 加曽利貝塚は現在も発掘中の遺跡です。ちらっと見えた同業者の姿に女房は興味津々。血が騒いで?いました。

20201220X5s010
 まずは、加曽利貝塚博物館へ。

20201220X5s012
 貝層剥ぎ取り断面。生禿のような素人には、どれを見ても同じに見えます。

 大規模な開発が無くなったことにより、貝塚全体を調査する機会は少なくなったそうです。コロナ禍で発掘調査の件数は激減しているとは、女房からも聞いています。

20201220X5s025中峠6次1住型
 中峠6次1住型(中峠遺跡)。広い口頭部文様帯に連続コの字状文様と、隆線による横S字状文様と集合沈線。特徴的な把手。体部は縄文のみ施文。

20201220X5s031中峠0地点型深鉢
 中峠0地点型深鉢(紙敷遺跡)。 南総の縄文研究から、中峠式土器の位置づけが、[勝坂式・阿玉台式 → 中峠式諸類型 → 加曽利E式]と改変されたそうです。

20201220X5s037勝坂・阿玉台末
 勝坂・阿玉台末/加曽利E1初 深鉢(小山台遺跡)。

20201220X5s041加曽利E擬或屡
 加曽利E擬或屡(根木内遺跡)。当地域の加曽利E擬阿論彰愿譴貌団的な地紋に撚糸文を施すもの、東関東に特徴的な口縁部に縦方向の沈線を施すもの、波状隆線を持つもの、立体的な突起を有するものなど、様々な地域の情報が錯綜し、それを受容しています。

20201220X5s048加曽利E脅或屡
 加曽利E脅或屡(子和清水貝塚)。当地域の加曽利E脅阿癲▲ャリパー形土器などの胴部に摺消縄文が施されるようになります。甲信地方の粗利式や西関東の連弧文土器、東北地方の大木式の影響を受けた土器が見られ、他地域との交流が伺えます。

20201220X5s052加曽利E脅或屡
 加曽利E脅或屡(今島田貝塚)。沈線による弧線を横方向に連ねる文様を施します。西関東を中心に分布します。連弧文土器の器形た上下二段となる文様形式や、口縁端部の刺突などもE脅阿療擺錣寮立に影響を与えます。

20201220X5s055加曽利E啓或屡 20201220X5s059加曽利E啓或屡
 加曽利E啓或屡(鹿島前遺跡)/ 加曽利E啓或屡(小山台遺跡)。当地域の加曽利E啓阿癲口縁部文様が簡略化します。胴部を隆線で縁った渦巻文様などを器全面に施す意匠充填系土器が加わります。

 加曽利の大地に人が住み始めるのは約1200年前から始まる縄文早期。縄文前期までの住居跡は少なく、集落の規模は小いものでした。

20201220X5s062 20201220X5s063みみずく形土偶
 みみずく形土偶(南貝塚/縄文後期)/ 山形土偶(南貝塚/縄文後期)。加曽利貝塚出土の土偶の変遷。山形土偶(後期後半)から、みみずく土偶(晩期)への変遷が示されています。

 南貝塚は縄文後期から形成され始めます。ハマグリの大きさが北貝塚のものより大きいという特徴があります。大森貝塚などと同じ時期の貝塚です。

 5000年前の縄文中期に、東京湾東岸地域の各地に村ができ、大型の貝塚が築かれました。河口にできた干潟に生息する小魚や貝を採取することで、安定した資源利用が可能となり、この地に長く定住することができました。加曽利地域は海と山の両方の資源を利用できる好条件が整った地域だったのです。

20201220X5s073 20201220X5s069アクセサリー
 アクセサリー(男/女)。骨や角、歯や牙、貝を使った品には、素材となた動物に対する敬いの気持ちが感じられます。

 黒曜石の産地。加曽利では神津島のものが多く利用されていました。加曽利の民は「海の民」だったようです。

20201220X5s075鹿の利用部位.JPG
 鹿の利用部位。女房の研究テーマである「鹿」。祭祀にどのように利用されたのか、女房は興味深く鑑賞していました。

 日本犬は大陸からやってきました。日本狼とはルーツが異なります。縄文犬は、モンゴルなどの大陸系と、僅かですが南アジア系の遺伝子を持つ犬も含まれています。

20201220X5s081加曽利北貝塚出土人骨
 加曽利北貝塚出土人骨(縄文中期)。脹脛の骨に治療痕があります。貝塚を堀り込んで墓を作っていることから、再生を願ったものと考えられます。

 貝層は弔いと物送りの場。貝塚はアイヌのイヨマンテのような「物送り」の場ではなかったかと考えられます。

20201220X5s085
 加曽利玄或屡(一の谷西貝塚/縄文後期)。当地域の加曽利玄阿砲蓮沈線や微隆起線が多く用いられます。やがて西日本の影響を受けた称名寺式土器が南関東西部で成立しますが、加曽利玄阿鮗け継ぐ土器は称名寺式と共存し、称名寺式の変化に影響を与えます。

20201220X5s088 20201220X5s090
 博物館から出て公園内の展示施設を巡ります。

20201220X5s095 20201220X5s098
 北貝塚の貝層断面(貝層断面観察施設)。

20201220X5s105 20201220X5s107
 竪穴住居跡群観覧施設は、工事中で立入り禁止。復元集落も遠くに見えてはいるのですが、工事中で立入り禁止でした。

 年末年始はオフシーズン。この期間は、施設の保全のための工事に充てられることが多いと、専門家である女房の解説。そうなんだ。でも、小規模だったけれど丁寧な解説が嬉しい博物館が見られただけでも、生禿としては大収穫でした。ありがとうございました。

 帰りに高田馬場で遅い昼食。「とん久」でトンカツを頂きました。いつも変わらぬ美味しさ。行列ができるわけです(この日も30分ぐらい並びました)。学生街ですからボリュームもたっぷり。今の女房には「150gは多い」と苦しそうでした。

 高田馬場駅前のビッグボックスで買物をして帰りました。