都心で朝の打合せを終えて、王子(東京都)と川口(埼玉県)の神社を回って、夕方に川越(埼玉県)で打合せ。一日動き回りました。

王子駅を降りて、武蔵野の路(石神井川コース)を歩いて、音無親水公園へ。

王子神社は中世に熊野信仰の拠点となった神社です。紀州熊野三所若一王子が勧請され、村名も王子村と改められました。

関神社は髪の祖神です。江戸時代に、かもじ業者が関蝉丸神社を奉斎。「毛塚」は、毛髪を扱う業者によって、毛髪報恩と供養のために昭和36年に建立されました。釈尊が祇園精舎に入られた時、貧女が自らの髪の毛を切り、油にかえて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝いたという言い伝えがあるそうです。生禿としては・・・、そりゃあもう大熱心にお祈りしました・・・ってのは冗談です。それはそうと、オケケ塚に感激して、思わずレンズを取り落し、レンズを壊してしまいました。大切にしているレンズなので、修理に出さなければ。大損害です。そんあことは毛ほども願わなかったのに・・・トホホ・・・。

音無橋からホテル-ロンドン(ラブホ)を望む。一度、利用したことがありましたネ。良かった ← 何が?(^^)? 路面電車(都電荒川線)が走っています。これに乗って、娘たちと荒川遊園地によく行きました。楽しかったな〜〜〜。

飛鳥山公園です。雀さん達が屯していました。××するのは明日かい?と聞いたても、明後日を向いている奴がいましたね。

公園にある観音菩薩。何故ここに?繰返し聞いたのですが、カノンで繰返し無視されました。

飛鳥山にはD51もあります。機関車の中に入ることもできます。桜の季節には大盛況なので、生禿は季節外れに密かに来て遊んでました ← 今日もそうですね、ポー!(^^)!

高校生は卒号記念の動画をスマートホンで撮っています。男の子とお母さんは、行き交う電車を眺めています。クレーンが雲を引き上げようとしています。ウンウン!

稲荷山第一古墳です。稲荷山も歴史のある地域です。古墳時代から豪族が闊歩する勢いで飛ぶ鳥を落としていたとか。

埼玉屈指の明治の政商、渋沢栄一の庭園です。栄一のお孫さんの、もの凄く色っぽい女にイロイロ教えていたことがありました。アッチは向こうの方が上手で、その妖艶さは道行く男が溜息をつくぐらいでしたネ。懐かしい!(^^)!お元気なんだろうか?(^^)?

兜稲荷社の本殿?です。日本橋兜町の第一銀行構内にあった社で、三井組の為替座として新築された時、三井の守護神である向島の三囲(みめぐり)神社から分霊を勧請し、兜社と名付けられたものだそうです。明治30年の第一銀行改築時に現在地に移されました。

庭園には、渋沢家が寄贈した青淵(せいえん)文庫や、渋沢栄一の喜寿を祝に清水建設(株)が贈った晩香廬(ばんこうろ)などもあります。栄一爺さ〜ん。お孫さんは凄んごいグラマーでフェロモン全開のオキャンな色年増になってますよ。

川口神社の裏参道は、梅で一杯です。狛犬さんも梅吹雪?で吠えてます。← 唐獅子梅ってショッパそうですね。

手水を取る水龍さんも枝垂れた梅に見惚れています。

境内社の梅ノ木天神社。牛が。。。小牛っぽくて変に可愛い。これじゃあ、道真の祟りパワーは無くなるじゃありませんか。

舊(旧)狛犬もいらっしゃいました。江戸時代末期の1861年の作。材料は古松石、石工は小川長四郎だそうです。

八雲社は、旧金山権現社。現在の金山神社は新しく建てられたもののようです。

小池武平海軍一等機関兵の像。日露戦争で広瀬中佐と共に戦った英霊(人殺し)です。隣には、川口護国神社。鋳物の街は殺し合いで繁盛してきた街です ← おっと!過去形じゃありません。現在もです。

この包丁塚・・・、筆は福田赳夫です。お勉強はできたけれど、お政治はできない方でしたね。それでも、売国奴ではありませんし、それどころか、いざとなったら命を懸けて、人殺しをしてでも、平和を守る魂のある普通の人でした。生禿は認めています。

川口神社は、平安時代の天慶年間の創建と伝えられています。武蔵野国足立郡司武芝によって、大宮の氷川神社より分祀勧請し、氷川大明神(氷川社)と呼ばれていたそうです。祭神は、素盞嗚尊・菅原道真・宇迦之御魂命・保食命・金山彦命。明治6年に川口町内の天神社・稲荷社・金山社を合祀して社名を川口神社に改めました。 それにしても、この狛犬、情けない!(^^)!

鍛冶の神、金山彦命を祀る金山神社は、明治時代に鋳物師の神として字塚越の祀られていた金山権現社を合祀したもの。鎌倉時代から鋳物屋が軒を連ねていたそうです。 この彫刻何なのでしょう?獅子舞の図?

表参道の狛犬さんは、狗(高麗)系です。大陸渡来の製鉄・鋳鉄技術を感じさせます。福井から千葉まで。川口も、製鉄〜鍛冶のベルト地帯にあります。

王子駅を降りて、武蔵野の路(石神井川コース)を歩いて、音無親水公園へ。


王子神社は中世に熊野信仰の拠点となった神社です。紀州熊野三所若一王子が勧請され、村名も王子村と改められました。

関神社は髪の祖神です。江戸時代に、かもじ業者が関蝉丸神社を奉斎。「毛塚」は、毛髪を扱う業者によって、毛髪報恩と供養のために昭和36年に建立されました。釈尊が祇園精舎に入られた時、貧女が自らの髪の毛を切り、油にかえて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝いたという言い伝えがあるそうです。生禿としては・・・、そりゃあもう大熱心にお祈りしました・・・ってのは冗談です。それはそうと、オケケ塚に感激して、思わずレンズを取り落し、レンズを壊してしまいました。大切にしているレンズなので、修理に出さなければ。大損害です。そんあことは毛ほども願わなかったのに・・・トホホ・・・。


音無橋からホテル-ロンドン(ラブホ)を望む。一度、利用したことがありましたネ。良かった ← 何が?(^^)? 路面電車(都電荒川線)が走っています。これに乗って、娘たちと荒川遊園地によく行きました。楽しかったな〜〜〜。


飛鳥山公園です。雀さん達が屯していました。××するのは明日かい?と聞いたても、明後日を向いている奴がいましたね。

公園にある観音菩薩。何故ここに?繰返し聞いたのですが、カノンで繰返し無視されました。

飛鳥山にはD51もあります。機関車の中に入ることもできます。桜の季節には大盛況なので、生禿は季節外れに密かに来て遊んでました ← 今日もそうですね、ポー!(^^)!


高校生は卒号記念の動画をスマートホンで撮っています。男の子とお母さんは、行き交う電車を眺めています。クレーンが雲を引き上げようとしています。ウンウン!

稲荷山第一古墳です。稲荷山も歴史のある地域です。古墳時代から豪族が闊歩する勢いで飛ぶ鳥を落としていたとか。

埼玉屈指の明治の政商、渋沢栄一の庭園です。栄一のお孫さんの、もの凄く色っぽい女にイロイロ教えていたことがありました。アッチは向こうの方が上手で、その妖艶さは道行く男が溜息をつくぐらいでしたネ。懐かしい!(^^)!お元気なんだろうか?(^^)?

兜稲荷社の本殿?です。日本橋兜町の第一銀行構内にあった社で、三井組の為替座として新築された時、三井の守護神である向島の三囲(みめぐり)神社から分霊を勧請し、兜社と名付けられたものだそうです。明治30年の第一銀行改築時に現在地に移されました。

庭園には、渋沢家が寄贈した青淵(せいえん)文庫や、渋沢栄一の喜寿を祝に清水建設(株)が贈った晩香廬(ばんこうろ)などもあります。栄一爺さ〜ん。お孫さんは凄んごいグラマーでフェロモン全開のオキャンな色年増になってますよ。


川口神社の裏参道は、梅で一杯です。狛犬さんも梅吹雪?で吠えてます。← 唐獅子梅ってショッパそうですね。

手水を取る水龍さんも枝垂れた梅に見惚れています。


境内社の梅ノ木天神社。牛が。。。小牛っぽくて変に可愛い。これじゃあ、道真の祟りパワーは無くなるじゃありませんか。

舊(旧)狛犬もいらっしゃいました。江戸時代末期の1861年の作。材料は古松石、石工は小川長四郎だそうです。

八雲社は、旧金山権現社。現在の金山神社は新しく建てられたもののようです。

小池武平海軍一等機関兵の像。日露戦争で広瀬中佐と共に戦った英霊(人殺し)です。隣には、川口護国神社。鋳物の街は殺し合いで繁盛してきた街です ← おっと!過去形じゃありません。現在もです。

この包丁塚・・・、筆は福田赳夫です。お勉強はできたけれど、お政治はできない方でしたね。それでも、売国奴ではありませんし、それどころか、いざとなったら命を懸けて、人殺しをしてでも、平和を守る魂のある普通の人でした。生禿は認めています。


川口神社は、平安時代の天慶年間の創建と伝えられています。武蔵野国足立郡司武芝によって、大宮の氷川神社より分祀勧請し、氷川大明神(氷川社)と呼ばれていたそうです。祭神は、素盞嗚尊・菅原道真・宇迦之御魂命・保食命・金山彦命。明治6年に川口町内の天神社・稲荷社・金山社を合祀して社名を川口神社に改めました。 それにしても、この狛犬、情けない!(^^)!


鍛冶の神、金山彦命を祀る金山神社は、明治時代に鋳物師の神として字塚越の祀られていた金山権現社を合祀したもの。鎌倉時代から鋳物屋が軒を連ねていたそうです。 この彫刻何なのでしょう?獅子舞の図?


表参道の狛犬さんは、狗(高麗)系です。大陸渡来の製鉄・鋳鉄技術を感じさせます。福井から千葉まで。川口も、製鉄〜鍛冶のベルト地帯にあります。