「第三 折々のうた」 大岡信 1983年 岩波新書

 「折々のうた」好きになりました。という訳でブックオフで見かけると手に取ります。以下にこの身の「うた」を引用します。


■ 春のうた

雪とけて村一ぱいのこどもかな 小林一茶

うらやまし思い切るとき猫の恋 越智越人

我は我身のあるじなりけり 佐々木信綱
 ― 下の句のみを採る

桜ばないのち一ぱい咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり 岡本かの子

先に死ぬしあわせなどを語りあひ 清水房雄
 ― 上の句のみを採る

うの花のにほふ垣根にほととぎす早も来なきて忍び音もらす夏は来ぬ 佐々木信綱

■ 夏のうた

金魚売買へずに囲む子に優し 吉屋信子

血を垂れて鳥の骨ゆくなかぞらに 高屋窓秋

入れものが無い両手で受ける 尾崎放哉

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵

うつす手に光る蛍や指のまた 炭 太祇

夏山の大木倒す谺(こだま)かな 内藤鳴雪

夏草のしげみが下の埋もれ水ありとしらせて行くほたるかな 後村上院

■ 秋のうた

照る月をくもらぬ池の底に見て天つみ空に遊ぶ夜半かな 加藤千蔭

遊びをせんとや生まれけむ 梁塵秘抄
 ― 「遊び」は春を売る行為、またはその人を指す語

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 小野小町
 ― 恋しい人を夢で見る時は相手がこちらを思っているからだ、という俗信を踏まえた

やわらかき身を月光の中に容れ 桂信子

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 加藤楸邨

月の夜や石に出て鳴くきりぎりす 千代女
 ― きりぎりすは現今のコオロギ

君が瞳はつぶらにて/君の心は知りがたし 佐藤春夫

死ぬまでも死にてののちもわれというものの残せるひとすぢの路 九条武子

処女(おとめ)にて身に深く持つ清き卵秋の日吾の心熱くす 富小路禎子

■ 冬のうた

生きながら針に貫かれし蝶のごと悶えつつなほ飛ばむとぞする 原 阿佐緒

浪高や磯のあわびの片思い 梁塵秘抄より

独り寝も好(よ)や 暁の別れ思へば 宗安小歌集
 ― 夜明けには別れなければならぬ、それを思えば独り寝も悪くは無い

寒流月を帯びて澄めること鏡のごとし 白居易

鳥どもも寝入っているか余吾の湖 斎部路通
 ― 余呉の海は琵琶湖の北の小湖

詩興変じ来りて … 灯前に独り詩を詠む 菅原道真

菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村

ふじの山夢に見るこそ果報なれ路銀もいらず草臥(くたびれ)もせず 油煙斎永田貞柳

あせ水をながして習ふ剣術のやくにもたたぬ御代ぞめでたき もとの木網