「変わった世界 変わらない日本」 野口悠紀雄 2014年 講談社現代新書

 今の経済状況を確認するために読みました。新しい知見はありませんでしたが、確認はできました。小気味良い筆致も楽しめました。ありがとうございました。 以下はこの本の要約と引用です。


■ はじめに

 日本経済が停滞から抜け出せないのは、1980年代以降に起きた世界経済の変化に対応できていないからである。市場経済モデルの復活と、新興国の工業化。市場経済モデルの復活は、米国と英国に有利に働いた。デフレは新興国の工業化によってもたらされた。

 日本政府がいくら金融緩和をしても何も変わらない。経済の仕組みを変えなければ何も変わらない。

■ 経済思想が大転換した

 計画経済の下では、価値のある物はブラックマーケットに流れる。需要と供給の法則は、ソ連の社会でも機能した。抑圧という経済活動のために、労働力の1割近くが割かれた。
社会主義などあり得ない、ということが実証された。

 ソ連崩壊後、軍事力の意味が低下して米国の地位は低下した。

 米国と英国、マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンは「新自由主義」を表明した。国営企業の民営化、規制緩和、税制による所得再配分機能の緩和。福祉国家の否定である。自由主義の行き過ぎは格差を拡大した。

 市場経済は、自由放任ではない。市場経済はルールがないと機能しない。市場が実現する所得配分が望ましくないことは認識されている。市場経済をルールでコントロールし、所得配分を矯正することが必要だ。

 オーストリアのルドウィヒ・フォン・ミーゼスの結論は「中央集権経済では、合理な経済活動は不可能」。弟子のフリードリッヒ・A・フォン・ハイエクは、経済活動の全てを把握することはできない。「社会主義経済は経済運営に必要な情報を伝達できない」と論じた。

■ IT革命

 ITは、情報処理コストと通信コストを低下させた。分散型情報システムが進歩すると、分権型経済システムの優位性が高まる。伝統巨大企業のビジネスモデルを破壊した。ベンチャー企業は、有力企業の優秀エンジニアを引き抜いて創業する。

 技術変化の前に制度変化があった。世界各国で電話通信が自由化された。

 オンライン・アウトソーシング(オフショア)により、業務を賃金の低い国に委託することが可能になった。米国のIT関連企業は、コールセンターやバックオフィスの作業アイルランドに置いた。世界中に広がる工場や支店の注文・在庫確認・発送指示…、アイルランドは地球規模でITビジネスのハブになった。アイルランドは「ケルトの虎」に変身した。アイルランドの賃金が上昇し、コールセンター業務はインドに移動した。米国の子供たちは、オンラインでインド人の家庭教師に教えられている。

 製造業の生産方式は、垂直統合から水平統合へ移行した。ITの進展は取引コストを低下させ、分業の有利性が増した。部品の互換性が高まると水平統合が進む。

■ 市場型経済の復活

 米国はもともとITに適した流動性の高い社会だった。日本の経済体制は、大企業が支配的で、そこでの意思決定は中央集権化している。

 1980年代以降の米国経済におけるサービス産業化で、増えたサービスは新しい技術に支えられていた。IBMは製造メーカーではなくなった。GEは総合電気メーカーから脱皮した。

 米国や英国は脱工業化した。大学や研究機関は継続して強かった。教育と研究は新しいサービスに不可欠である。

 1840年代の「ジャガイモ飢饉」でアイルランドからの移民が増加した。現在のアイルランドの人口より、アイルランド系移民の方が多い。米国に渡ったアイルランド人は底辺の生活を余儀なくされた。ボストンのケネディ家は例外の成功家系だ。

 アイルランドの成長の要因は、教育と海外からの投資。法人税を引き下げたのは、海外からの投資を受け入れるためだった。第二次大戦以降、教育を無料化した。しかし、大学卒業者は海外に移住してしまった。アイルランドでは、国内産業が育っていなかったために、外資と国内産業との利害調整も必要なかった。人口が500万人に満たない島国では、自動車産業などの製造業が発展することは無理だ。

■ 中国が工業化に成功した

 共産主義を否定して市場経済を導入した中国は、共産党国家を維持した。中国の改革開放への転換の障害は公企業だった。中小企業は民営化し、大企業は上場を推進した。そして、経営不振の国有企業の破綻処理を行った。三千万人が解雇された。国有商業銀行に公資金を注入し、不良債権を処理した。今でも、政府が戦略産業と見做している分野は国有企業が独占している。

 自由化が進展したのは、消費財部門。ハイア−ルグループの白物家電はシェア世界一だ。レノボのPCも世界1位のシェアを占めている。ファーウェイやアリババやバイドウはベンチャー企業だ。起業家精神に満ちたワンマン経営者がリスクをとって経営している。米国留学から帰国した経営者も多い。若者たちは大企業で働くより、起業したいと思っている。

 ホンハイ傘下のフォックスコンは、iPhoneの生産で知られる。安価な労働力だけではなく、柔軟で高品質な生産体制が選ばれる理由。彼らは、勤勉で従順な労働者なのだ。農業部門の余剰労働力が底をつくと、賃金が上昇する。

■ 取り残された日本は円安のぬるま湯に

 垂直統合モデルは敗北し、パナソニック・ソニー・NEC・シャープは巨額の赤字を計上した。小泉内閣は、円安政策によって古い産業構造を温存した。大企業病に冒された大企業はリスクを取らない。

 情報技術の革新と新興国の工業化、市場経済の優勢性の復活。その中で日本は産業構造を変革しなかった。その結果、バブルの崩壊やデフレの影響が継続したかのように見えた。日本では脱工業化もグローバリゼーションの起こらなかった。日本は90年代以降、衰退を続けている。

■ 100年に一度の金融危機

 2003年頃から米国の住宅価格の異常な上昇が始まった。住宅価格と賃貸料の差が大きくなり過ぎた(不動産価格は賃貸料の割引現在値)。投機以外の何物でもなかった。バブルだった。

 直接金融を支えたのは、英国ではマーチャントバンク、米国では投資銀行である。企業が発行した株式や社債を引き受け、投資家に販売する。米国の主要な投資銀行は消滅した。英国では、ロスチャイルド以外のマーチャントバンクは消滅した。ロンドンのシティは、外国の金融機関が活躍する場になった。彼らは最先端の金融技術を駆使した。ヘッジファンド間の競争が激化し、高リスクな取引を行うようになった。

 リスクをヘッジする手法が開発された。オプション価格式が見出されて、オプションを評価することができるようになった。先端金融理論が無謀な投機を引き起こしたのではない。ファイナンス理論を使わなかったから失敗したのだ。投資銀行が必ずしも高リスク投資を行うわけではない。米国の金融セクターは早く立ち直ったが、日本の輸出産業は立ち直れなかった。

 貪欲さは、いつの時代のどんな国にもある。特定の経済状況があったからこそ、貪欲さが世界経済を揺るがすほどの問題を引き起こした。米国に対して巨額の黒字を蓄積していた日本と中国と産油国。この資金が米国に還流した。経済危機は、日本経済そのものの問題でもあった。サブプライムローンが顕著に増加したのは、円キャリーの拡大と同時期だ。FX(外国為替証拠金取引)が増加すると、円売り外貨買いが進行し、円安が自己増殖する。

■ リーマンショック後の世界

 2008年以降、日本の輸出は落ち込んだ。日本の輸出立国モデルは破綻した。米国の消費減によって影響を受けるのは輸出国である。新興国の工業化という構造要因は、金融政策では対応できない。

 中国は2008年から巨額の景気刺激策を実施した。将来の発展のために、高速鉄道や道路輸送などのインフラを整備した。

 30年ごろの世界は、米中2つの経済大国と「その他」によって構成される。

■ 日本経済が抱える深刻な問題

 最大の問題は賃金の低下。給与が下がったのは生産性の低いサービス産業。医療福祉は下落した。就業者が製造業で減少し、医療福祉で増えた。貿易不能なサービスは多い。

 日本の賃金を上昇させるためには、新しい生産性の高い産業が登場しなければならない。

 貿易赤字が拡大したのは、発電用燃料輸入の増加、生産拠点の海外移転である。原油価格の動向に金融政策は影響を与えることはない。所得収支の黒字は続く。金融の高度化が求められる。

 デフレで製品価格が下がった製造業の賃金は上がり、サービス業の賃金は下がった。デフレスパイラル論は間違っていた。賃金下落は、デフレからの脱却によっては実現できない。実質賃金は経済の実体が変わらない限り変わらない。

■ 制御不能に陥っている日本の財政

 日本の財政は信じられないような赤味を抱えている。日本経済は長期衰退過程にある。人口の高齢化により社会保障は自然増する。

 消費税だけで財政再建しようとすれば、30%まで上げる必要がある。社会保障制度を見直さない限りどうにもならない。支給開始年齢を70歳まで引き上げることが必要だ。

 国民から資源を調達する方法は税だけではない。インフレは、家計から国に所得が移転されたのと同じことになる。国債の実質価値が減少するからである。財政破綻とインフレそして通貨下落は、同義語と言ってよい。本当に恐ろしいのは円安とインフレなのだ。

■ アベノミクスは答えにならない

 金融緩和政策を中心とするアベノミクスは空回りした。資金需要が無いからだ。異次元緩和措置の導入後、GDPは低下した。GDPで伸びているのは公共事業だ。

 日本の株式市場は、為替レートを行方を当てるマネーゲームを繰り広げるだけの市場になっている。アベノミクスは、株価を上昇させただけで、実体経済は改善していない。

 経済の好循環は、実質所得が増えて実質消費が増える。雇用構造であり産業構造なのである。

■ 未来を拓くために必用なのは何か

 新しい経済を実現するのは、企業であって政府ではない。13年以降の日本経済は、公共事業のバラマキによって支えられている。現在の大企業は政治に圧力を加えられる。新しい企業は発言力を持たない。

 新興国に対しては、売るのではなく、その労働力を使うビジネスモデルを確立する。アジア新興国の工業化に対して、直接金融で資金を供給する。日本の金融機関が主役になる必要はない。部品を調達しEMSに委託するファブレスな製造業が可能になっている。

 高齢者の資産を担保として消費資金を融資する仕組みを作る。

 人材投資こそが、将来の成長にとって最も重要な投資である。

 日本を世界に向けて開らき、優秀な外国人労働者を受け入れる。外国から専門人材を受け入れようとすると、国内の専門家集団が反対する。日本国内での外国人排斥をなくすことが重要だ。外国からの人材の導入は、最も進んだ経済活動だ。それができる国は、世界に多くない。日本には経営の専門家がいない。資本と人材を海外から導入することによって、旧システムの核心を破壊する。