「日本語練習帳」 大野晋 1999年 岩波新書

 昔に話題になったとても古い本。暇になったから、読んでみました。成程なのですが … 当事評判になったほどには … 。 以下はこの本の要約と引用です。


■ 単語に敏感になろう

 古い文学に出てくる「思ふ」が、「胸の中で思っている」と置き換えるといい例が多い。言葉には出せずに恋する。それを「思ふ」と言います。

 言葉づかいが適切かどうかの判断は、それまでに出会った分霊の記憶によるのです。

 生活していく上で間に合うと言えば、3000語あれば間に合います。

 「良」は質がよいこと、「善」は行為がよいこと。

 漢字は現在ではおよそ2000字が常用です。一字一字をよく知っておくと漢字の意味はよくわかります。 … 但し、「経済」とか「哲学」とか「文明」など、字だけではわからない単語もあります。こういう単語はたいていヨーロッパ語の翻訳語です。

 「独」は相手に制約されません。自分から進んでは「自」。「孤」は一人ぼっち。

 文章を書くときには、同じ言葉を繰り返して使わないという美意識が働きます。

 大和言葉は情緒的な表現は発達させましたが、物事を客観して言い分けるには、どううしても漢字を使わなければならないところがあります。

 漢字は二字の組合せ。二つの概念が組み合わされ、意味が細かく確かになります。

 日本語は今から1500年前に漢字・漢語を取り入れて、大和言葉の体系に消化するのに千年以上かかりました。大和言葉には文字は無かった。そこへ漢字が中国文明(儒教や仏教や薬学)を携えて輸入された。

 「うつくし」や「あそぶ」を、「美し」「遊ぶ」と漢字で書くのは、平安朝以降です。韓国でも漢字を使っていましたが、漢字は漢語にだけ使いました。

■ 文法なんか嫌い

・「は」の働き ― 問題を設定する

 欧州語のように、主語-述語の関係を示す。

 「は」は、その場を設定し、それについての情報を加えます。

 分かりやすい文は、「AはB」のAとBの距離が近い文です。

 対比の「は」は、「第二には」のように何かに対比します。

・「は」の働き ― 対比

 「猫は嫌い」は、猫は嫌いだけれど … と何かとの対比になります。枕草子の「春はあけぼの 夏は夜」は有名。

 英語だと、最初に枠を示して、後で内容を詳しく述べる形式があります。日本語では、目的とする内容は動詞の前に置くのがきまりです。

 日本の学校文法では、「文節」を習います。「音の切れ目」が「意味の切れ目」と教えます。「分節」によっては。意味上の構造をつかむことはできません。

・「は」の働き ― 限度

 「6時には」は、「6時までには」の意味になります。限度の「は」は、対比の「は」の延長上にある使い方です。

・「は」の働き ― 再問題化

 「美しくは見えた」は、「しかし…」と何かの保留や条件が付いて、単純な肯定/否定では終わりません。

 以上4つの「は」の」使い方は、「多と区別して確定した物事として問題にする」ということです。

・「が」の働き ― 名詞と名詞をくっつける

 「が」は上の名詞と下の名詞をくっつけて、一塊の観念にします。Aが … するB、あるいはAが … であるBという型。接着剤です。

 「Aが … するB」は一つの名詞句を作ります。

・「が」の働き ― 現象文を作る

 「が」の下に動詞が来てそのまま終結する文。江戸時代以降に生じました。現象を表現するに使われます。

 「は」は静態記述、「が」は動態記述、新事実発見です。

■ 二つの心得

・「のである」の「のだ」を消せ

 「のである」は相手に教える場合によく使います。力んでいる押しつけています。

・「が、」をつかうな

 逆説の接続助詞は、明らかに逆説の時に使うとは限りません。一種の保留・抑制を意味しています。歯切れの悪い、明晰さを欠く文章になります。

■ 文章の骨格

 剣道で修行すると先生から免許皆伝を受け、極意書を授かったそうです。その巻物を開いてみると「敵に切られる前に切れ」とあったそうです。極意の言葉は簡単なものです。その言葉が意味する広さや深さが感得できるようになって、極意書の意味が分かるようになります。

 感想文を課されると、本を読むことが喜びでなくなる。

 論文を書く場合には、1)言いたいことを書き留める、2)記述の順番(筋)を決める、3)不足な材料を集める、調べる、考える、4)書く、5)修正する。

■ 敬語の基本

 日本語では、話し手のいるところを「こ」。相手と自分が知っている所と物を「そ」。遠くの所と物を指すには「あ」または「か」。分からない所や物を「ど」で示します。その下に方向や場所を表す接尾語、「こ」とか「ち」をつけます。

 これは、近・中・遠という話し手からの距離で区別しています。三人称の代名詞は、その近・中・遠をはっきり反映します。話し手が自分の領域内なら「こいつ」、話しても聞き手も知っている人は「そいつ」。話し手から遠い人は「あいつ」。

 日本語では相手を遠く扱うことは、敬意の一つの表現法です。

 人称代名詞は、「こ・あ・そ」の距離で捉える言い方と、漢語系の上下の言い方です。

 日本語の社会の根源は、距離で人間関係を考えることでした。上下の認識は、古墳時代以降の階層化と家父長制度、そして漢字文化によるものです。

 西日本では、女性や子供が一人称として「うち」を使います。

 古代では、助詞の「が」と「の」は鮮明に使い分けられていました。万葉集では「が」は、「我が子」のように、自分自身または自分に近しい人間の下に付きました。「神の社」にように、「の」は外のものに広く使われました。

 英語には人称代名詞が7つしかありません。日本語には多くの人称代名詞があります。日本語の社会では相手と自分の関係の在り方と込みで捉えます。

 尊敬語の表現には「なる」「らる」「ある」という「自然成立」を意味する言葉が現われる。外で生じることは自分には左右できないこと、自分が立ち入れないこと。だから、外の事や人はそっとしておく。それが尊敬へと展開しました。

 翻訳家によると、日本語には罵倒語が少ないそうです。

 言葉は決まったものではない。主体性だけによってなされる表現行為でもない。言葉には社会の規範がある。

 言葉は表現行為、解釈行為の全体です。