女房に頼まれた食材の買物。団地丘陵に咲く日本水仙です。癒されますね (^^)/ 皇紀2686年。我が祖先を皆殺しにした天皇とか言う極悪非道の支配が、2686年も続いたことを呪う日が終わりました。やれやれ (*_*)
さて、読書は・・・
「葬られた王朝」 梅原 猛 2010年 新潮文庫 相変わらずの言いたい放題の梅原節。私には納得できる説ばかりなので好きです。でも … それでは科学の事実とはかけ離れるかも。とは言え、歴史なんて始めっから「カラスの勝手」なので佳としましょう。
私が「日本史最大の謎」としている「藤原不比等は何故?貴族が武人であることを辞めさせようとしたのか」への答えが、少しだけ見えたような気がします。侍は「元農民」で、「武人」ではありません。侍は「帰農」できますが、「武人」=「貴族」は帰るべき身分がありません。「侍」は身分ですが、「貴族」は階級ですから。
以下は、特に印象に残った部分の引用です。*印はWEB検索結果です。
私が「日本史最大の謎」としている「藤原不比等は何故?貴族が武人であることを辞めさせようとしたのか」への答えが、少しだけ見えたような気がします。侍は「元農民」で、「武人」ではありません。侍は「帰農」できますが、「武人」=「貴族」は帰るべき身分がありません。「侍」は身分ですが、「貴族」は階級ですから。
以下は、特に印象に残った部分の引用です。*印はWEB検索結果です。
■ はじめに
記紀神話は、高天原神話、出雲神話、日向神話から成り立っている。「日向神話は、事実を反映しているのではないか」レヴィ=ストロース。出雲神話は架空の物語であるという説を検討し直さなければならない。
■ 出雲王朝はスサノウから始まった
出雲王朝は何百年か栄えたはず、少なくとも六代は続いたとみなければならない。
出雲神話で活躍した神々を祀る神社は、山陰・山陽・近畿に広く存在する。
「古事記」を素直に読む限り、アマテラスを開祖とする大和朝廷の前に、スサオウを開祖とする出雲王朝があった。スサノウは、イザナギが最後に生んだ三貴子のなかの嫡男。アマテラスは女神、ツクヨミが影が薄い。スサノウは、葦原中つ国の支配をイザナギから命じられている。高天原では悪神であったスサノウは、出雲では善神に変わる。
日本には、稲作農業以前に、栗・稗・黍・麦・小豆・大豆などの雑穀農業が行われていた。阿波は粟、吉備は黍。阿波も吉備も、出雲王朝の権力が及ぶところである。
スサノウは朝鮮から舟に乗って出雲の国に至る。出雲王朝には朝鮮の影が濃い。
「古事記」の「高志の八俣のをろち」は、越前・越中・越後を指している。出雲は長い間、越王朝の支配を免れなかった。オオクニヌシは、縄文以来ヒスイの生産によって強い国であった越を征服し、越のヌナカワヒメを強姦して娶る。その子が国譲りの際、最後まで抵抗して諏訪に追いやられ、諏訪神社の祭神になったタケミナカタであった。
■ オオクニヌシ − 王朝を繫栄させた大王
オオクニヌシは南進してヤマトを征服する。関西周辺には、オオクニヌシとその子たちを祀る神社が多い。古くは大和も山城も出雲族の支配下にあった。
須我神社に近くに熊野大社がある。熊野神社は出雲の国の一之宮。上の宮にはイザナミ、下宮にはアマテラスとスサノウを祀っている。本居宣長は、第一の祭神はスサノウであるとする。出雲大社の新しい宮司は、前の宮司が亡くなるや、直ちに熊野大社の鑚火殿に赴いて、「火継」の式を行わねばならない。神聖な火をもらわないと、出雲大社の宮司にはなれない。
朝鮮からやってきたスクナヒコを、オオクニヌシは国造りの協力者とする。スクナヒコは、朝鮮から最新の医療技術と、農業技術の改善をもたらした。スクナヒコは、国造りを終えると突如として去っていく。スクナヒコとオオモノヌシは、国造りの協力者であったが、異国から来た神であり、オオクニヌシの後継者となることはできなかった。
オオクニヌシには多くの妻と子がいた。宗像三神のカムヤタテヒメとの子のコトシロヌシ
古代出雲王朝がどのように滅びたか、確かなことはわからない。滅ぼしたのは、物部氏の祖先神であるという説がある。古事記では国譲りの使者は、物部氏の神=フツヌシ。日本書紀では、タケミカヅチが主役になっている。ニニギ族より先にこの国にやってきた物部氏が、出雲王国を滅ぼしたのかもしれない。
*藤原不比等(659–720)の時代以前、物部氏と中臣氏の関係
物部氏は、武器・軍事・神宝の管理・天孫系神々(石上神宮)を担う、軍事・神事一体型の有力氏族でした。一方の中臣氏は、宮中祭祀の専門氏族。天皇のそばで祝詞・祭儀を司る神官的立場。軍事力はほとんど持たない純粋祭祀エリートでした。587年丁未の乱で蘇我氏は物部氏を討ちます。そして、蘇我氏は中臣(藤原)鎌足によって壊滅させられます。
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は、日向から遠征して大和を滅ぼした。かつてこの国を支配したオオクニヌシ一族の血を引く女性=ホトタタライススキヒメを娶り、その子を天皇にすることが必要であった。しかし、それ以降、オオクニヌシ系の女性が正后に就く人はなく、物部系の正后が続く。
現天皇の祖母の時代まで出雲大神の祟りが存在していた。古事記編纂の時代、出雲大神の鎮魂が重要な国家課題であったろう。
■ 考古学が語る出雲王朝
淡路島沼島の男根岩-上立神岩。下立神岩は女陰の巨岩。国生みの島オノゴロ島の象徴である。私は、イザナギ・イザナミは縄文の神だと思う。縄文は「産み」の哲学。ムスビは性交を意味し、子を生むことを意味する。イザナギが産んだ三貴子は、いずれも農耕の神。縄文時代が終わり、弥生時代が始まる。
■ 記紀の謎
藤原不比等は、大宝律令(701年)と養老律令(720年)を制定。養老律令においては、天皇の権力は弱められ、太政官=藤原氏の権力が増大した。藤原京から平城京への遷都は、不比等権力は確立を印象づける。その都の東方の小高い丘に、氏寺=興福寺を建てた。律令と遷都が成功させた不比等に残されたのは、歴史書の編纂である。711年元明天皇の勅命によって始められた。
「古事記神道」を創造することによって、宗教を司る権利を中臣氏に独占させようとする意志を持っていた。政(まつりごと)は「祭り事」。祭事の中心は前代の王朝の鎮魂であった。
大宝律令の施行により、、祖先代々国の長として諸国を治めていた国造は実験者の立場を追われ、中央政府から任命される国守に代えられた。出雲にだけは国守がおかれず、出雲国造と紀伊国造とともに支配権を留め置かれた。
中国では新しい王朝が誕生する毎に、前代王朝の歴史書が編まれた。それには前代王朝の鎮魂という意味も含まれていたのであろう。記紀も前代の王朝の洪業を賛美し、その上で、現王朝が前代の王朝に代わらねばならぬ必然性を述べた。
藤原氏(中臣氏)の祖先については、はっきりしない。698年、藤原氏を名乗るのは不比等の子孫に限り政治を司り、中臣氏は神事を司る、と定めた。イデオロギー=神の道は中臣氏、政治の道は藤原氏。藤原氏は千年の繁栄を保つ。
日本書紀では、タケミカヅチは国譲りをオオクニヌシを恫喝する。その姿には仏教の影響がある。タケミカヅチは鹿島に祀られる神と神とある。768年、鹿島のタケミカヅチと香取のフツヌシと共に上京し、中臣氏の祖先神であるアメノコヤネが伊勢から来たヒメカミと共に春日大社に祀られ、春日四神が揃う。春日大社の創建は709年という説もある。フツヌシは、蘇我入鹿を殺害した中臣鎌足の一面を宿しているように思われる。
■ 出雲大社の建造
出雲大社の建造は、716年に元明天応の命により、藤原不比等が行った。出雲大社建造は、「古事記」に語られた前代の王朝の神々の鎮魂を示したものであると言えよう。

