高校生で微分を学びますよね。私は「極限」という概念に強く反発しました。例えば、1/3は0.333…ですよね。1/3×3は1です。 でもね、0.333…×3つまり0.999…は[1-0]なんです。つまり、1よりも「極限の0だけ少ない!」おかしくないですか?![1/3×3=1]なら[0.999…=1]の筈ですよね。[0.999…≒1]ではありません! (これは、「いいがかり」に近いのですが、たとえ話としては解り易いので)

 大学生になって経済モデルなどの計算で微分を使わざるを得なくなった時、極限概念は「見做し」であって、論理ではない。微積分は近似の算法であって、数理ではない。そう考えると、微積分を算術として便利に扱えるようになりました(使えないと計算が困難になりますからね)。

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 なのですが、理論物理学の勉強を始めると、またまた「極限」に突き当たりました。アインシュタインの「光速不変の原理」はデタラメだし、ハイゼルベルクの「不確定性原理」も間違いです。その根本にも、極限と通底するものがあります。例えば「リーマン多様体」。様々な不思議な前提の下で、無理やり作った「極限算法」の一種です。

 やっぱり、高校生の時に考えた「デデキントの切断」に行き当ります。この宇宙に連続体は無い!数直線は不連続だ!と直感しましたが、数理として証明できませんでした。考えると、数理として証明する必要はなくて、物理(もののことわり)として、実際の世界には連続体は無いことを実証すれば済むんですよね(既に、実証されていますし)。

 数理はあくまでも形式操作。実体とは無関係な抽象。だから、数学が「ひり出した」算法を使う時は、それが現実妥当かどうかを考えて使えば良いだけです。そして、論理としては「間違って」いても、近似計算ができる算術は便利だから「使っちゃえ」という判断も技術(工学)としては許容されます。

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 なのですが、素人の趣味としての理論物理学では、論理として破綻している現在の物理を我慢できないんです(素人には「妥協」がありません。仕事じゃないんだから)。しかも、自分では極限を否定したその先の物理(もののことわり)が解らない。だから、殆ど投げちゃってます。頭が悪いので。ふ〜〜〜。

 引退後の道楽として、理論物理学を選んだのは間違いでした。こんなに早く(たった3年で)「ドン詰まり」になるとは思ってもみなかったからです。 これから、新しく熱中できる「道楽」を見つけなくっちゃいけないんです。暇潰しは嫌いです。熱中できて、わくわくして、逝っちゃいそうな快楽がある(満足では駄目です!)。そうでなければつまらない。だから、困ってます。