「人類学的世界史」 ラルフ・リントン 1995年 講談社学術文庫

 女房の本棚にあった歴史学の古典。古い本だけれど、読むに値するものでした。 以下は、特に印象に残った部分の引用です。


■ はじめに 〜 ホモサピエンス

 人類の歴史のうち最近の7500年間を除いた全ての期間、全ての人類は狩猟採集により生存していた。人類の文化の形式を設定したのはこの段階である。

■ 基礎的な発明

 ロッキー山脈のパイユーツ族は、栽培もしないし耕作もしないが、灌漑はしている。農業の発展にきまった形はなかった。それぞれの収穫と気候に応じて解決すべき課題があった。

 中石器時代遺址からの磨製石器の発現は、その時代の人々が耕作を始める前に、穀物を刈り入れたことを示している。

 金属それ自体は、隕鉄の形で非常に早い時代からエジプトで知られていた。自然金属は強さと伸展性を持ち、打ったり研いだりして鍛えられた。近東において鉱物から金属を取り出したのは、紀元前4〜5千年だった。

 書記法は6千年前にほとんど同時に、エジプト、メソポタミア、インダス河谷に現れた。4千年前には中国に現れた。文字類がまったく相違しているのは、書記法においては単一の起源がないことを暗示している。

 書記法の第一歩は、絵文字であると思われる。

 紀元前1800年頃、アルファベットはシナイからセム人地域に広まり、通商者であるフェニキア人に到達した。

 犂の発達は、動物の引っ張る力を、男も農業に入り込んでいった。

■ 東南アジア文化複合

 ポリネシアの政治組織と政府は、マナとタブーに関連づけて理解される。マナは「成し遂げる力」。マナは、無生物で非感覚である。

■ 西南アジアとヨーロッパ

 最初にヨーロッパに到達した新石器時代の移住者はアナトリアからやってきた。地中海の沿岸にそって、イタリア、イベリア半島に。そして航海術が発達すると地中海に植民していった。他の移住者はダニューブ川にそって中央ヨーロッパに入った。この子孫は、やがて東のステップから移住者に押されて、フランス、ドイツ、スカンジナビアに到達した。2つのルートの異なった環境は、特徴ある文化を作った。

 食糧の欠乏を補うために海はいつも手近にあった。地中海の人々は魚に依存していた。

 地中海に居住し、この地域から移住した新石器時代の人々は、インド・ヨーロッパ諸語を話さなかった。それらの言語の中では、バスク語やベルベル語が生き残った。

 紀元前1800年から1500年の間に牛飼育の部族は、ステップから南方=インドからバルカンに進出した。これらの侵入者は、インド・ヨーロッパ諸語の部族だった。

 アーリア人は貴族と平民、農奴は征服された地方民。三つの階級の社会であった。アーリア人の後の文化への寄与は、近代までヨーロッパに生きながらえた貴族的な形式を設定したことだった。

 騎馬民族により創られた征服帝国は一般に短命だった。騎馬民族は征服を発展させなかった。アーリア人とは反対に、彼らの漂白文化の価値は、定着した社会の統治者の役割とは相容れないものだった。

 セム人は、結婚における処女性を重視する。処女性を示すことはイスラーム国家の結婚儀礼の一部をなしている。女性性器の割礼は、生と性器への考え方を示している。

 ベドウィンの性の強さは有名である。異教の時代において、男性の要求は寺院の売春婦によって満たされた。同性愛も発達した。今日でも多くの男性は、少年愛から異性愛に移行する。

■ 最初期の文明

《メソポタミア》

 最初の諸都市は、ナイル、チグリス=ユーフラテス、インダス、黄河のほとりに建てられた。都市生活はヨーロッパにははるかに遅れて入ってきた。

 ヘレニズム文化はローマ帝国に伝達され、そして西ヨーロッパの伝統の一部になった。

 シュメール人は軍隊を組織し、訓練した最初の人々だった。

 シュメール人は、制度しての奴隷制を作った最初の人たちである思われる。奴隷は主に戦争の捕虜だった。

 シュメールを征服したセム人は、国土を略奪できても、帝国を管理できなかった。征服者たちは、シュメールの書記たちと官僚制を利用した。

 メソポタミアは、交易を実業としてもった最初の文明だった。

 シュメールは法の観念と成文法典を発達させた初めてのところだった。ハンムラビはセム人だった。彼は処罰を強化し、女性の地位を悪化させた。

《エジプト》

 紀元前6千年頃に、アジアから移住者はエジプトへ栽培植物と飼育動物と新石器の技術をもたらした。

 伝説の前半部ではオシリスは近東の植物神として現れる。

 ファラオは戴冠式においてホルスの神となり、死においてオシリスに変容する。

 エジプトは戦闘に興味を持たなかった。古王国の時代には職業兵士は僅かだった。軍事が重要になると、外国人が軍の大部分を構成していた。多くは奴隷であった。奴隷の立場からは、労働よりはむしろ好ましいものだった。奴隷兵士の形態は、イスラーム諸国に継承された。

■ 地中海文化複合

 クレタ文明は、他の古代諸文化と同じく、西南アジアの新石器時代の中心から由来した。クレタはエジプトとギリシャ本土の中間にあり、後代において通商を支配することが可能であった。

 クレタ人は大型の船舶(ガレー船)を発達させた最初の人たちだった。それらはミノア人を史上初めての海の帝国を発足させることができた。東地中海に海軍の基地を作った。

 クレタ社会は初期の文明のどれよりも繫栄していたと思われる。経済的な余剰は公平に分配された。

 フェニキア人が関心を持ったのは通商と利潤であり、商業を妨害されない限り、政治的な併合には関心を持たなかった。

 ローマ人が野蛮から文明へと推移するときに取り入れたのはヘレニズムであった。

 ギリシャ文化は、エジプトの人々、クレタ人、インド・ヨーロッパ言語を操る侵入者の文化が混合して生成された。暗黒時代において、ギリシャ人は近東あたりを流浪し、エジプト、アッシリアで軍隊として雇われた。

 メソポタミアにおいてギリシャ人は科学と力学的宇宙論を見出した。僧侶の支配から免れた天文学と数学にの知識を獲得した。ギリシャ哲学が生成された。

 古典時代の終末頃にアレクサンドロアにおいてギリシャ人は、実験と観察に基礎を置いた科学に接した。だが、ギリシャ哲学者は言葉の誤魔化しを通して真理に至ると信じていた。

 ギリシャ都市政府は、王と貴族たちに支配され部族会議により運営された。インド・ヨーロッパ的形態を起源とするが、自由な討論が許されていた。

 草原(ステップ)は戦士を育む育成場だった。バーバリアンの諸部族はそこから溢れてきた。キリスト紀元の以前に、モンゴリアンは優れた軍事装備と技術の発達があった。有能ではない部族は、西方へと将棋倒しになった。

 初期ケルト人の姿はアイルランドに見られる。ここではケルト人はローマ時代を通じて独立を維持した。

 ローマ人は、従属民の選ばれた人々に市民権と権力を与えた。平等の希望を与え、支配グループに加えた。

 西ヨーロッパでは、ローマ崩壊後は封建制度に移行した。封建制度は固定した階層社会を現出した。

■ アフリカ

 アフリカの新石器時代の諸文化は、西南アジアの中心からもたらされた。

 アフリカは、サハラ砂漠により人種的にも文化的にも二分されている。北アフリカはコーカサス系人種が優越し、ユーラシア的である。南アフリカは、ニグロイド諸文化が優越している。

 ニグロ・アフリカでは、女性が過剰であり、一夫多妻が一般的。

 ニグロ・アフリカの基本的な宗教は祖先崇拝だった。対象は、親族グループの祖先=英雄たちだった。

 一般に宗教は、酪農社会よりも農園社会において重要であった。

■ インド

 ブッダはカーストの特権を否定し、バラモンの優越を認めなかった。儀礼と供物の効用を否定した。ゴータマ・シッダールタは神の存在は否定しなかった。精霊の存在には疑問を持っていた。魂の転生の信仰を非難した。この世の始まりを問うことは無益と考えた。

 仏教は布教者団を送り出した初めての宗教だった。

■ 中国

 中国は、世界のいかなる文明よりも長い継続の歴史を持ち、文化的に統一された人々の集合体であった。他の古い諸文化のように崩壊しなかった。中国人は外国人諸王朝によって征服されたが、征服者に中国人の文化をおしつけ、結局は同化させた。

 バーバリアンの傭兵がやってくるに伴い、中国人の戦争は血なまぐさくなた。戦国時代に突入すると、すぐれた知的活動がさらに加えられた。

 道教は南部中国に始原し、この地域の信心を組織化した。道教は自然崇拝と超自然的なものから発展した。老子の基礎概念は、陰陽の相反する原理により作り出された。変化と再編成という不断の状態の世界である。

 中国の農民は、長子相続を行わないで、所有地を全ての息子に分け与え、所有地はつねに断片化した。農民の人口の一部は、徐々に土地から押し出され、都市に流れた。

 官僚試験(科挙)は、息子の将来に希望を与えた。知識人は重んじられていた。

 中国は、強い僧侶グループを生み出さなかった。中国人の宗教は、祖先崇拝であった。

 中国は、歴史上の種々の時代において、世界における裕福な最強の国であった。ヨーロッパの開花した17世紀、中国はヨーロッパよりも文明化していた。