文化遺産国際協力コンソーシアム
2022年10月23日
「気候変動と文化遺産」
講演内容のまとめです。私の聞き違いや勘違いがありましたらお許し下さい。
《挨拶》 青柳正規
世界恐慌と第二次世界大戦は100年前。現在は同様の状況にある。
《古気象学から》 名古屋大学 中塚武
年輪による分析は、夏の日照や降水量と相関。1000年と400年と数10年の周期がある。数10年の周期の要因には、火山の噴火などもある。
数10年単位の変化は、人口と食糧生産の関係から、飢饉や難民が発生し、政治体制の変換を引き起こしている。
長期の変化は人口調整や技術の変革により、短期の変化は備蓄など一時的な対策で対応可能。数10年の変化は対応が難しい。例えば、江戸時代の飢饉の発生。特に末期は多発した。時代によって対応力は変化している。
弥生時代の前1世紀では人口減少、前5-3世紀は人口の移動で対応した(中国では戦国時代)。稲作が浸透していないことが背景にある。定住によって移住では解決不能になり、大和朝廷の成立をみる。殺傷痕のある多数の渡来人の遺体が確認される。人口が集積され、公共事業が必要になった。古墳時代が始まる。
6世紀に再び気候変動が激しくなる。内乱が発生し、律令効果への契機となった。屯倉が設置され、古墳時代から飛鳥時代へ推移した。出雲の柱は234年。屯倉の設置と同時期。律令制は戸籍の整備を必要になる(白村江の戦いが契機なのではない)。大和朝廷の戸籍の整備は、難民を収容した地域、温暖期に集中している。奈良時代は気候が安定していた。
9-10世紀、再び気候変動が発生。荘園制へ移行する(中国でも内乱が起きる)。中央と地方の対立と、地域間の争いが激化する。鎌倉時代から室町時代にかけて、再び気候変動が激しくなる。降水量が増大し水害が多発。鎌倉幕府が滅び、応仁の乱が勃発する。
17世紀(江戸時代)は、新田開発と人口増加。寒冷期に入ると人口減少と移動が見られる。1900年代(江戸末期)にも寒冷化が起き、海外への移住が増加する。
数10年の気候変動への対応は、多様性への重視がキーになる。食料が増産される時代に人口を抑制し、減産時には(移民などへの)社会の寛容さ、公共事業を運用する。現在の温暖化は、過去にはない激しいもの。
《気候変動と伝統知識》 東文研 石村智
海外の支援による再建は、伝統の破壊が伴うことがある。大家族用の大きな間仕切りのない住宅の伝統が、核家族用の仮設住宅によって置き換わる。家族のあり方が変化し、仮設住宅に住み続けることを選択する人々も増える。グローバル化と近代化が進んでいく。海外の人間の介入による危険性は大きい。現地の人々を尊敬することが大切。また、伝統生活を強制するのもおこがましい!現地の人々を巻き込むことが必要。
《シンポジウム》
地球温暖化に責任のある人々が、最も勝手に暮らしている。不公平感は大きい。加害者意識をもって支援を行うべきである。