「エントロピーをめぐる冒険 − 初心者のための統計熱力学」
 鈴木炎 2014年 ブルーバックス

 時間の矢と深く関わる「エントロピー」です。時間の物理を目指した私としては、読まない訳にはいかないですよね。詠んでみると、目から鱗がポロリ!物語の部分が長すぎるけれど、それはそれで面白い。初心者向けに、数式を逃げないで、これだけきちんと説明できるのは凄いなあと感心しきり。有難う御座いました。 以下はこの本の要約と引用です。


《まえがき》

 世界は不可逆だ。エントロピーは不可逆を支配する。

《1. 英雄の息子 サディ・カルノー − 革命後のパリ》

 フランス革命が恐怖政治へと暴走。経済の停滞と食糧の不足、そしてコレラの感染爆発。絶望の状況の中で、外国軍を撃破した救国の英雄であり、ナポレオンを抜擢した将軍、ラザール・カルノー。ラザール・カルノーは、賄賂を受け付けない希な一人であった。

 その息子、革命のさなかに王宮で生まれたサディ・カルノー。政界からの誘いもあったが、親の七光りを嫌い、共和主義劣勢の世の中にも失望して、研究に閉じこもった。1824年サディは、「火の動力」を出版する。

 エンジンを操る者を技術者=エンジニアと呼び、エンジンを司る学問をエンジニアリング=工学と呼ぶ。

 エンジンが仕事を続けるには、熱の流れ込みと流れ出しの両方が必要だ。水車の動力の源は、水の高低差にある。熱エンジンにおいては、温度差である。

 熱の移動は、極力スムーズに行うべきで、そうすれば無駄は避けられる。それは、「可逆過程」である。[等温膨張-断熱膨張-等温縮位-断熱圧縮]のカルノーサイクルである。カルノーサイクルを逆に回すと「ヒートポンプ」。冷蔵庫やエアコンになる。

 永久機関の不可能性は、父ラザールが執筆した機械学の教科書で述べられていた。熱の流れから引き出すことのできる動力の量には原理的な限界があり、それを超えることはできない。この限界は、燃焼炉と冷却器の温度のみによって決まり、熱エンジンの構造や作業物質によらない(カルノーの原理)。

 カルノーの原理は、この世のあらゆる物質を支配し、束縛するユニバーサルな原理である。この世の全てに見られる不可逆性を示唆している。エネルギーの保存則とは異質な性質である。

《2. 我が名はエントロピー》

 エネルギーは変転するが保存する。エネルギーは、位置エネルギー、運動エネルギー、電気エネルギー、化学エネルギー、熱エネルギー、核エネルギーなど様々に形を変えて存在する。総量は一定で、実体はない。保存則だけが空中に浮かんでいる。エネルギーは、可変だが不滅なるもの。

 ルドルフ・クラウジウスは、1865年にエントロピーという概念を打ち立てる。熱が低温から高温へ自発的に流れることはない。この第二法則は、現在でも自明ではない。

 エネルギーの運び手は、熱ではなく、[熱/温度]である。クラウジウスは、この量を、熱が物体の内部で変換されたものと捉えた。ギリシャ語で「変換」を意味する「トロペー」からとって「エントロピー」と名づけた。

 エントロピーの搬入・搬出量dSは、熱の搬入・搬出量qと絶対温度Tから、[dS=q/T]で求められる。

 エントロピーは状態量である。温度・圧力などの物質の状態を指定すれば、そこに至る道筋によらず、一義的に定まる。熱や仕事そのものは、道筋による量だが、エントロピーは道筋によらない状態量なのである。

 物質内部の非平衡が残存している時には、それが自発的に解消され、平衡に達して初めて、状態量としてのエントロピーが確定する。殆どの場合に、非平衡状態を、局所平衡の集合体と捉えることができる。

 クラウジウスは、1)宇宙のエネルギーは一定である、2)宇宙のエントロピーは最大へ向かう、と書き下ろした。宇宙の全てにおいて、エントロピーの法則が成立することを証明するなど不可能だ。

《3. 憂鬱な教授 ルートヴィヒ・ボルツマン − 世紀末のウィーン》

 ルートヴィヒ・ボルツマンは、ジェームス・クラーク・マクスウェルの速度分布を拡張した(マクスウェル-ボルツマン分布)。統計的に見れば、ある速度を持つ気体分子の数は、いつも一定の割合で存在している。すなわち速度分布は一定である。背後には、各分子の速度成分は、完全に独立で、相関がないことが仮定されている。しかし、速度の完全独立性は自明ではない。

 ヨハン・ヨーゼフ・ロシュミットが指摘するように、エントロピーの減少は不可能ではない。その確率はゼロではない。ニュートン力学には不可逆性は無い。非可逆性はどこからくるのか?今日まで最終解決には至っていない。

 組み合わせの数を数え上げると、その対数は関数H、すなわちエントロピーに対応する。分子たちにエネルギーをランダムに分配するという仮定によって、エントロピーの本質を明らかにした。統計力学の始まりであった。

 ボルツマンの確率論では、エネルギーは離散的であるという仮定が使われている。エネルギーが連続的だと数えようがないからだ。マックス・プランクは、ボルツマンのアプローチを利用している。ボルツマンは、量子論の祖父とも呼ばれる。ボルツマンは、原子・分子を仮定した。

 [S=kB・InW]状態の総数がW。とれる状態数が多ければエントロピーも大きい。エントロピーとは、乱雑さであるという説明は、この式に基づく。

 熱は高温から低温への流れ。熱がどう流れるかを見ることで、温度の高低を知る。[dS=q/T]は、温度の定義である。

《4. 分子は語る》

 [∂S/∂U=1/T]。∂Uは内部エネルギーの微小変化。これを熱(q)と見なせば、[dS=q/T]と同じものである。

 すべての物体は、熱運動をしている。最低エネルギーは1。エントロピーは1の対数=0である(熱力学の第三法則)。エントロピーは、分子たち全体がエネルギーの関数であって、エネルギーの総量とともに増大していく。増大の傾きは、温度が高くなるにつれて小さくなる(状態の場合の数は直線では増えない)。だから、高い温度から低い温度の方へ熱が流れれば、エントロピーの合計は増えることになる。ランダムに動き回る分子の「確率」から「絶対」が生まれる。当確率の仮定が、唯一の前提である。

 エネルギーが低いほうが安定であるという経験則は、自然界のあらゆる局面で見られる。高エネルギー状態が不安定で、分子は低エネルギー状態へ落ちる傾向を持っていると「錯覚」する。高エネルギーを持つことは、エネルギーの集中を意味する。集中は起こりにくいというだけのことだ。

 エントロピーが増大するという現象の中には、物質そのものが拡散する場合も含まれる。空間モードの状態数は、体積に比例する。体積が倍になれば状態数も倍になる。

《5. 田舎の天才 ギブズ − 南北戦争のアメリカ》

 南北戦争の死者数は第二次大戦よりも遥かに多い。西部では先住民の虐殺が続いていた。ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェイムズ。フロンティア精神は殺戮と無法と背中合わせだった。リンカーンは、特許を持つ唯一の大統領である。

 ジョサイア・ウィラード・ギブズにより熱力学は完成された。「数学は言葉。数学者は何でも好きなことが言える。だが物理学者は、少なくとも正気でなければならない」ギブス。内積・外積・勾配・発散・回転の概念と表記法はギブスによって整えられた。

 容器の外はほとんどの場合、容器内の反応に影響を与えない。容器の外のエントロピーの変化は、「温度」だけで完全に指定できる「熱浴」なので、内外全体のエントロピーの変化は、容器の中だけ見ていれば分かる。反応は宇宙全体のエントロピーが増大する方向へ動く。我々は宇宙を一望すことはできないが、目の前の反応を理解することができる。

 物質はエネルギーを放出したがると見做してしまえば、内部エネルギーは「ポテンシャル」と捉えることができる。

 エンタルピーは、定圧条件化のエネルギーのようなもの。化学反応の平衡においては「平衡定数」Kが存在する(質量作用の法則)。[A+B ⇔ C]の二つの反応が釣り合った時が、平衡なのだ。

 熱力学の関数は「状態関数」。平衡定数Kを知るには、その反応を直接計測する必要はない。

《6. ミクロからマクロへ − 統計力学の誕生》

 熱力学で言う「状態」とは、我々の目に見えるマクロな「相」のことであって、それを構成しているミクロな状態については不問なのである。現在に至るまで、ギブズの統計力学における結論に誤りは見つかっていない。

 ギブズは「アンサンブル(集合)」という概念を確立する。「確率から絶対へ」の一例は、「平均値」の概念がそれである(中心局限定理)。

《放たれた矢 − 深く広く》

 時の矢はどうして一方向にしか向かわないのか。万人が納得する答えは得られていない。

 全球が水没した北極に石を投げたら、南極でその波は一点に集中する。結局は「因果律」も確率の問題であり、エントロピーの一部という解釈も成立する。

 エントロピーを「情報」として捉える「情報としての物理学」。エントロピーの本質は確率である。

 可能性を全部足すと100%になると信じている。未来は100%ではないかも知れない。

 我々の体内では、無数の化学反応が同時進行している。あらゆる反応の源泉はエントロピーだ。