高校時代の数学の教師が、「ギリシャ数学からとしても、2600年間の思考の積重ねの結果としての数学の発展を、小学校から高校までの12年間で教えるのが学校の数学教育だ」「教育とは歴史の追体験であり、時間の短縮である」「数学の場合は、時間の縮約は2百倍以上になる」と教えてくれました。

それから、20年後、このことを実感させる出来事が生禿の身にも起こります。

当時、私はデータベースの集合演算に取組んでいました。特に、勿論オラクルごときは当然としても、信頼するサイベースにも実装されていない「商集合演算」(所謂、名寄せです)のプログラムを書くことに夢中になっていました。何故なら、「商集合演算は書けない」と、天才の誉れも高きプロ中のプロに言われたからです。「プロにできないことをするのがアマチュアです」生禿は、システム屋ではないので、データベースのアマチュアです。当たり前ですが「プロを越えなければアマチュアとは呼ばない」ので、生禿は燃えます。

数学で最も難解と言われる「数学基礎論」「現代集合論」を勉強し、天才コッド博士の書いた論文を読み、ISOの「SQL」を熟読し・・・。悪戦苦闘の2年半でした。結果的には、出来てみれば「な〜んだ」というものでした。随分遠回りしてしまいました。

なにはともあれ、かつて「出来ない」と言った天才SEに説明しました。驚いたことに、見たことも聞いたことも無い「商集合演算のクエリー」であるにも拘らず、彼らは僅か15分であっさり理解したのです。

2年半が15分です。時間の縮約は、2百倍どころではありません。コロンブスの卵同様に、出来てしまえば、高い理解力を持つ天才さんたちにとっては「ふむふむ」で終わりです。

理解とはなんでしょうか?第三者が解いた答えを「ふむふむ」と後追いするのも理解です。一方で、回答を自ら探し求めて悪戦苦闘することでしか理解できないこともあります。後者で理解したものは「知識」ではなく、経験から習得された「知恵」と呼ぶべきものかもしれません。

高校時代の恩師も、「数学の知識は2百倍の時短が可能だが、解法を導くための時間は短縮できない」「他人から習ったことと、自ら解いたことは違うのだ」と教えてくれました。

「あんなに頑張ったのに・・・、奴らは15分です」。がっかりします。2年半も掛けた自分の頭の悪さ、要領の悪さにも腹が立ちます。でも、「自ら解いた」知恵は私のものです。← 私だけのものではありません。世界中に、データベースの商集合演算を誰にも教わらずに書いた人が大勢いると思います。必要なものは、多くの人が発明します。逆に言えば、本当に必要なものは、同時多発的にあちこちで発明されています。「きっとこれは世界初だ」と思ったものが、何年も前に複数の人が既に開発済みだったという経験を、生禿も何度もしています。

人間は、必要なものは考え出すものです。知的好奇心によって発明されるものもあるでしょが、多くは必要に迫られて創り出されるものです。必要な時に必要な物を創り出すことができるように、人間は過去の知識の蓄積を「習い」ます。そして、もう一つ「学ぶ」ことがあります。それは、自分の頭で考えて問題を解決するやり方です。この二つを合わせて「学習」と言うのです ← 恩師の受け売りです。

ビジネスマンには、2種類の人種が存在します。ノウハウを作ろうとする人間と使うだけの人間です。生禿はノウハウを作ろうとする人間であり続けたいと思います。