「意識とは何だろうか」 下條伸輔 1999年 講談社現代新書

 「意識とは」という「不能な」問題に真っ向から向き合った本です。その意味では高く評価できます。だからこそ版を重ねているんでしょう。

 著者は理屈と論理を混同しています。筆者にとっては、理論が「この世を動かしている現実」なんです。理屈に合わない「現実」は存在しない。そういう出発点に立つと「珍なる」説が出てきます。殆どの学者がそうですけどね。現実と突合し、妥当性を思い知らされる「実業」の世界に生きていると「理屈」で物事を考えなくなります。

 それでも学者さんの言説は役に立ちます。この筆者のように、理屈ではあれ物事を真正面から捉えていれば、こっちが考えることのないような「突飛な」考え方に出合う。最新の研究成果も見せてくれる。考えるきっかけを与えてくれるのです。感謝!

 以下はこの本の要約と引用です。


■ 錯誤とは何か

 ポンゾの錯視については、鳩や猿でも同様のイリュージョン(幻覚)を経験しているという証拠があります。錯視図形に対しても視覚系は正常に機能しています。風景があり、視点があり、奥行きと遠近があるとき − 身体と環境が関係を持つときに、正覚の意味は変わります。

 色覚については、赤緑青の三原色と、赤-緑・黄-青の反対色があります。3種類の視覚細胞があり、その上で、赤-緑を両極とするチャネルによって黄色が作られ、これが青と緑の反対色チャネルを作るのです。

 ミミズでも順応(馴化)の現象が見出されます。視覚系は、視野の中心の大多数の色が零点近傍になるように、零点の位置を調節します。これによって、世界の大多数の事物が中央付近、視覚系の分別力の優れた範囲に入ってきます。

 私たちの色の分別力は、白(灰色)近辺が最も敏感です。僅かな色は無色から簡単に識別できますが、濃い色同士を比較するのは難しくなります。順応(馴れ)は、環境に対する適応の機構です。順応と残効には、末梢神経と中枢神経に由来するものがありますが、原理は両方に共通です。

 視覚系は適応を続けています。逆さ眼鏡を数週間かけ続けると、行動が適応するばかりか、知覚までが変化します。世界が正立して見えだします。網膜像は生まれたときから倒立しているのに逆さに見えないのは、順応しているからです。

 幻視も錯誤ではなく、適応機能の現れです。「事実」の定義ははっきりしません。生存のために有効かどうか、が幻覚と事実を区別する基準と考えられます。しかし、地球は公転しているのか自転しているのか?生存のための有効性という基準は役に立たないのです。

 量子力学では、幻覚と事実という区別さえ空虚です。物質は構成された概念に過ぎず、見ることも触ることもできないものです。

 大脳皮質に損傷を受けた患者でも、知覚は騙されても行動は騙されない例が報告されています。円柱の大きさの知覚では間違うのに、その円柱を掴む行動では間違わなかったといいます。

 「正覚と幻覚を区別する基準をどこに求めるか」の答えはありません。知覚世界の現実性は、文脈や環境や適応機能に依存しています。

 心理学では、知覚と認知を分けます。知覚は、知識などに左右されないもの。分析のし方が予め組み込まれていて、入力のパタンから解釈が自動に決まります(ボトムアップ)。認知は、知識や予見の影響を受け、状況次第で変わります(トップダウン)。

 知覚も認知も、結果をデータとして、原因を推定することが多いのです。「スポーツ・イラストレイティッド」の表紙を飾ると調子落ちる、というジンクスがあります。絶好調の時にしか表紙を飾らないのですから、その後に成績が下降するのが当然なのです。「ラッキー・ボーイ」や「ツイている」は、単なる偶然です。

 人間には、秩序や因果を発見しようとする傾向があります。偶然の出来事にも、意味や因果や法則を見出そうとします。無秩序や偶然を嫌うのです。ロールハッシャテストは「無意味なところに意味を見出す」ことを利用しています。

 自分の失敗の原因。自分自身は見えていないのに対して、他人の言動は目に見えて判断しやすいことも、「失敗を認めない」ことの要因の一つかも知れません。

 直感の推論課程(ヒューリスティック)。規範モデルでは、人の判断課程は理解できない。記述モデルが必要なのです。

■ 脳の来歴

 手続き知識は、人工知能の分野では「フレーム」とか「スクリプト」などと呼びます。知識の文脈とも言えるでしょう。

 方向選択性ニューロンの働きは、信号検出理論で説明できます。ニューロン群の発火の相対強度から予測できます。ニューロンは、それぞれの脳内部位で一定の神経生理に従って動作しているだけです。「正常な作動」と「誤動作」の区別はつきません。

 統合失調症患者の幻覚における神経達道は正常です。健常者でも、色や形を思い浮かべるときは、視覚皮質で活動が、音楽を思い浮かべるときは聴覚皮質に活動が記録されます。

 個々のニューロンは、個々の出来事の貯蔵庫ではありません。同じニューロンを刺激しても、想起したと報告される出来事は違います。「記憶は新たに構成されるもの」J・コール。

 状況依存性記憶。身をかがめると幼児の記憶が蘇る。酒を飲んだときだけ、特定の事が思い浮かぶ。記憶には、それを成り立たせる様々なものが必要です。

 脳が環境に適合するように自らを変え、知覚系と行動系が環境に対して適応します。この経緯の総体を「来歴」と呼びます。この来歴が、正覚と錯誤を定義します。

 J・J・ギブソンは、環境の事物は身体行為との関連で知覚されます。空間はアフォーダンス知覚、つまり行動の可能性と意味の充満する場所です。

 生後まもなくの感覚と行動の経験が脳の構造を決めます。7歳までの言語環境が、その人の母国語を決めます。

 脳の記憶は環境世界に依るが、環境世界の内容は脳の状態に依存します。互いに依存しあっています。カエルにとっては、静止した物体は存在しません。彼らの視覚系は、動いているのものだけを検出します。人間が想像するものは、人の身体の経験であり、人の心の経験でしかないのです。

■ 心と体と他者

 脳の機能は、身体の構造や環境から切り離すことはできません。

 幻肢の事例を読むと、切断された足先と実在する唇というように、同時に刺激を感じることがあります。新しい身体と脳の相互作用によって、新たな来歴が古い来歴の上に乗り、混じり合う形で現れたと考えられます。

 フルーランスは、ニワトリの翼を上げる神経と下げる神経を繋ぎかえました。このニワトリは、訓練の必要もなく手術前同様に飛ぶことができました。運動系でも記憶系でも、全体から離れて単独で機能する固定したブロックは見つけにくいのです。

 中枢の定義は、知覚でも記憶でも運動でも、当該部位を刺激すればその機能が作動することです。

 脳神経科学の方法でいくら調べても「自由意志による行為」は見つかりません。受動で反応する領域だけなのです。

 内部記憶と外部記録。古典AIでは、記憶=貯蔵庫で、問題解決は論理推論によって遂行されます。第二世代は結合主義です。例えば、ニューラルネット。記憶とはパタンの固定であり、想起とはパタンの復元です。問題解決はパタンの補完と変形です。第三世代は創発主義。身体と環境は、認知の切り離せないループです。

 「心の理論を持つ」とは、自己及び他者の目的・意図・知識・信念・思考・疑念・推測・振り・好みなどの内容を理解できるということです。自閉症児には、心の理論に欠陥があるとされます。心の理論を獲得する前に、共同注意・社会参照・振り遊び・過去の自分の信念の想起・表象そのものの発達、などの前段階があります。

 感覚や感情=主観は、自己を他人として見るということによって成り立ちます。

 人々は、単純なロボットに生命と意図を読み取ります。エキスパートシステムに人格を感じないのは、身体を持っていないからでしょう。

■ 意識と無意識のありか

  両眼に別々の図柄を示すと、人では数秒ごとに図が交替して知覚されます(両眼視闘争)。見える図柄に応じて違うボタンを押すように猿を訓練し、これらの図柄を両眼別々に示すと、猿も数秒ごとに交互に二つのボタンを押します。視覚皮質には図柄の交替に対応するニューロン群の活動の変化が記録されました。猿は人と同じ「見えている」意識を持っている?

 夢遊病の場合、無自覚の気づきがないと、歩き回った後、自分の部屋に戻ることはできません。

 無意識過程は、刺激入力の関数によって決まります。その分、環境世界と直接に繋がっています。

 普段は頭や体を動かしても、外界は静止して知覚されます。逆さ眼鏡をかけ始めた時には、頭を動かすたびに世界が揺れて見えます。順応によって知覚される世界は静止します。

 どのような時に意識は生じるか。短期記憶が意識の焦点領域とほぼ重なることが、心理学の定説になっています。自分を他人の目から見た時に、気づきます。

 科学の方法論は、認知過程を状況から切り離して孤立させます。認知過程は、特性や機能を変えないという前提です。

 人間は自由意志の存在か?

■ 人間観と倫理

 効き目が強く、効く患者の範囲広く、依存性が低い向精神薬(抗鬱剤)が出てきたとします。普通の人がこの薬を常用し、望み通り社長になったとします(実際にかなり起こったようです)。人間の本来あるべき姿に反するのでしょうか?不安や恐れや悲しみなどの感情が、進化の過程で淘汰されなかったのは、生物として重要な働きをしているからです。状況の先行きの予想に関して、鬱の患者の方が正確であることを示すデータもあります。

 現代の医学は、病気の治療だけに専念しているわけではありません。ヴァイアグラは、治療薬でしょうか?アルツハイマーの治療薬が、米国では、記憶力を増強する薬として売られています。ドーピングの基準は何でしょうか?

 自動車は、「人を殺傷する」という声を踏みにじって走り回っています。堕胎はカトリックを信じる国にも蔓延っています。遺伝子検査と人体加工が注目されています。

 バイオ・テクノロジーやブレイン・エンジニアリング。抗しがたい力によって、私たちは人工身体化し、人口脳化しています。