エスノグラフィーによる気づきについて基本的なことを確認しておきましょう。
『なぜその商品を買ったのか?買わなかったのか?』という購買要因を把握するために、グループインタビューが利用されてきました。しかし、グループ・インタビューでの困難の一つは、対象者も我々も「購入や使用、生活の現場」から離れたインタビュールームで対象者への共感的な理解を得ようとしていることです。対象者には「そんなこと思ってもみないし、思い出せない。何と言えばよいの?」といった意識しない行動を想起する困難さとして表れ、モデレーターには購買や生活場面が見えないので理解が進まない、結果として、誤解の危険が大きくなります。
時と場の隔たりという問題の多くは参与観察によって取り除かれます。対象者と観察者が一緒に現場にいるのですから、記憶力に頼る部分はなくなり、表現力も即座に「助け船を出す」ことができます。但し、無自覚の行動の意識化は困難です。対象者に意識的になってもらうことができたとしても、それは日常の行動とは何の関係も無い別のものです。店頭での行動観察には「店頭プロトコル分析」もありましたが、参与観察以上に非現実的な、購買行動とは何の関係も無い誤解釈を多く生み出しました。
エスノグラフィーは、実際に購買者や生活者の行動を“観察する”ことにより、行動の背景にある無自覚な意思決定過程を洞察し、本人が気づいていない行動の動機を探索するものです。
*本来、エスノグラフィーという言葉は、「文化人類学などで行われる長期にわたった観察」ですが、ここでは「フィールドワークによる行動観察」という定義で用いています。ですから、ここで言うエスノグラフィーには、ビデオカメラによる店頭行動記録の解釈は含まれません。行動観察は「その現場の感覚」以外の環境では、その意図を共感し、洞察することは不可能だからです。神経科学の実験結果によれば、ビデオによる行動観察では、模倣〜共感を受け持つと言われるミラーニューロンの活性が、現場観察に比べて低いことが実証されています。
本来のエスノグラフィーには、『種も仕掛けもありません』。店内の購買者を追跡してその行動をつぶさに観察する、それだけです。特別な装置も、特殊な道具も使いません。観察による洞察は、人間だけが可能な気づきをもたらします。装置や道具はむしろ、その気づきを邪魔するものでしかありません。
エスノグラフィーで、店頭の商品陳列や購買行動の写真を撮るのは、洞察と言う観点からは「邪魔な」「余計な」ものでしかありません。これらの写真は、「売れる売場の法則化」のための共有と解析に必要なものであり、洞察の為だけなら不必要です。
エスノグラフィーで大切なのは観察者の能力です。購買行動の観察には、1)行動の模倣や同調などの共感の基礎となる神経的・心理的能力と、2)現場の購買行動を探求し続けたプロとしての経験が必要です。つまり、精神科学の訓練を受けた売場のプロの気づきでなければ役に立たないことは経験的に確かめられています。
また、精神科学の訓練とは、神経科学や認知科学など「精神の科学」を基礎におくもので、かつてのような「精神科の学」を基礎を置くものではありません。精神科の臨床経験から導かれてきた「定説」が、神経科学の実証研究によって覆されています。その多くは、診察室では「適切」でも、日常の場面では不適切なものだったというものです。「精神の科学」を基礎としたエスノグラフィー訓練プログラムを開発し、スタッフの教育を行うことが必要です。
そして、特定の場の行動は、その場に精通していないと「見えてきません」。まして、その行動の背景などは、売場だけでなく、生活行動全体に対する幅広い経験と知識が必要です。売場を基点として、「何をどうすると、何が起こるか」を見つめ続けてきた販売促進のスタッフでしか気づかない「売場洞察」の蓄積が「売れる売場の法則化」に不可欠なのです。
『なぜその商品を買ったのか?買わなかったのか?』という購買要因を把握するために、グループインタビューが利用されてきました。しかし、グループ・インタビューでの困難の一つは、対象者も我々も「購入や使用、生活の現場」から離れたインタビュールームで対象者への共感的な理解を得ようとしていることです。対象者には「そんなこと思ってもみないし、思い出せない。何と言えばよいの?」といった意識しない行動を想起する困難さとして表れ、モデレーターには購買や生活場面が見えないので理解が進まない、結果として、誤解の危険が大きくなります。
時と場の隔たりという問題の多くは参与観察によって取り除かれます。対象者と観察者が一緒に現場にいるのですから、記憶力に頼る部分はなくなり、表現力も即座に「助け船を出す」ことができます。但し、無自覚の行動の意識化は困難です。対象者に意識的になってもらうことができたとしても、それは日常の行動とは何の関係も無い別のものです。店頭での行動観察には「店頭プロトコル分析」もありましたが、参与観察以上に非現実的な、購買行動とは何の関係も無い誤解釈を多く生み出しました。
エスノグラフィーは、実際に購買者や生活者の行動を“観察する”ことにより、行動の背景にある無自覚な意思決定過程を洞察し、本人が気づいていない行動の動機を探索するものです。
*本来、エスノグラフィーという言葉は、「文化人類学などで行われる長期にわたった観察」ですが、ここでは「フィールドワークによる行動観察」という定義で用いています。ですから、ここで言うエスノグラフィーには、ビデオカメラによる店頭行動記録の解釈は含まれません。行動観察は「その現場の感覚」以外の環境では、その意図を共感し、洞察することは不可能だからです。神経科学の実験結果によれば、ビデオによる行動観察では、模倣〜共感を受け持つと言われるミラーニューロンの活性が、現場観察に比べて低いことが実証されています。
本来のエスノグラフィーには、『種も仕掛けもありません』。店内の購買者を追跡してその行動をつぶさに観察する、それだけです。特別な装置も、特殊な道具も使いません。観察による洞察は、人間だけが可能な気づきをもたらします。装置や道具はむしろ、その気づきを邪魔するものでしかありません。
エスノグラフィーで、店頭の商品陳列や購買行動の写真を撮るのは、洞察と言う観点からは「邪魔な」「余計な」ものでしかありません。これらの写真は、「売れる売場の法則化」のための共有と解析に必要なものであり、洞察の為だけなら不必要です。
エスノグラフィーで大切なのは観察者の能力です。購買行動の観察には、1)行動の模倣や同調などの共感の基礎となる神経的・心理的能力と、2)現場の購買行動を探求し続けたプロとしての経験が必要です。つまり、精神科学の訓練を受けた売場のプロの気づきでなければ役に立たないことは経験的に確かめられています。
また、精神科学の訓練とは、神経科学や認知科学など「精神の科学」を基礎におくもので、かつてのような「精神科の学」を基礎を置くものではありません。精神科の臨床経験から導かれてきた「定説」が、神経科学の実証研究によって覆されています。その多くは、診察室では「適切」でも、日常の場面では不適切なものだったというものです。「精神の科学」を基礎としたエスノグラフィー訓練プログラムを開発し、スタッフの教育を行うことが必要です。
そして、特定の場の行動は、その場に精通していないと「見えてきません」。まして、その行動の背景などは、売場だけでなく、生活行動全体に対する幅広い経験と知識が必要です。売場を基点として、「何をどうすると、何が起こるか」を見つめ続けてきた販売促進のスタッフでしか気づかない「売場洞察」の蓄積が「売れる売場の法則化」に不可欠なのです。