「日本の死角」 現代ビジネス編集部 2023年 講談社現代新書
流石!講談社です。日本の政治家やマスゴミが見落としている大切なことを、きちんと取り上げてくれています。久々に心が晴れた本を読ませて頂きました。ありがとうございます。 以下は、特に印象に残った部分を引用したものです。*印はWEB検索結果です。
■ 日本は集団主義という幻想 高野陽太郎
日本人は、集団の和を大切にする。自分というものがない。日本人論は説いている。しかし、科学はこの常識を否定している。日本国民の同調行動は、米国民と変わりがない。
米国人にとって、個人主義は、民主主義の礎であり、独創や革新の源である。
戦時中、日本人が見せた集団主義は、外敵の脅威に対する普遍の反応。特殊なものではない。
■ 日本人は移動しなくなっている 貞兼英之
地方に留まる人が増えている。三大都市圏へ向かう人々の現象を引き起こした一つの要因は、少子高齢化である。日本では若年層の移動率が高い。若者が減れば、移動者が減る。
地元を去る若者も減っている。都会のモードに遅れない暮らしができるようになった。商業環境の充実は、雇用の場ももたらした。
就職のために県外に出る高卒者や専門学校卒の人々は減っている。大学進学のため、大学卒業後に就職のために地方を離れる人々は減っていない。学歴の低い者は、地方を出ずらい傾向が高まている。移動できる者とできないものの二極化が進んでいる。
地方間の移動で、大都市のせちがらも、地方のしがらみも回避する。
■ ハーバード式・シリコンバレー式教育の歪み 畑山勝太
米国の教育システムは分権化されている。学校は地域住民の要望に応えることが使命。
教育政策においては、分権化と集権化の間に、自由と平等のトレードオフが存在する。分権化では、地域間の経済格差が反映されてしまう。集権化は、格差や差別を是正できる。
シリコンバレーは、豊かな少数の黒人やヒスパニックだけを受け入れて「リベラルさ」を醸し出している。素晴らしい教育は、自分たちの持つ資源を自分たちの子供の教育のためだけに使うことで成り立っている。
カレッジタウンこそが、米国の分断の元凶の一つ。米国の大卒・高卒の格差は、賃金格差に留まらない。宗教観、女性の労働参加と子育て、性的マイノリティ、人種問題、・・・米国の分断を象徴する異なる価値観を有している。大学はリベラルな場所である。
教育への資金配分[GDP×税率×教育支出割合]。米国は日本の1.7倍の教育性向を持っている。それ以上に重要なのは豊かさ(GDP)である。
■ 日本が中国に完敗した今 藤田祥平
中国に言ったときに感じたこと。人間がここまで希望を持って生きていいものだとは、想像だにしなかった。
中国にはコンテンツ創造に関する蓄積がない。日本のコンテンツを輸出すべきだ。日本の人材も輸出すべきだ。すでに、未来のない日本国内から撤退して、中国で適切な創作活動をすべきだ。俺たちはこんな国から出ていくぞ。
■ 東大の学生への危機感 阿古智子
彼らは、民主主義や言論の自由の価値を理解していない。
日本の教員たちは、政治に関して中立性を守らなければならない。子供たちが、当事者意識をもって政治を学ぶ機会を失わせている。
■ 「個性的」は否定の言葉 土井孝義
中学生にとって「友達に言われて最も嫌な言葉」は、「個性的」。
20代では50%が「家族的な雰囲気のある会社につとめたい」。
今日の若者たちは、社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている。
今日の若者たちは、一人でいる人間を「ぼっち」と呼んで蔑みの対象とするようになっている。一人でいる者は、魅力を欠いた人物とみなされる。
新人社員意識調査の理想の上司像。仕事について丁寧な指導をする上司の人気が高く、仕事を任せて見守る上司の人気は低い。
不良が減り、優等生が増えたように見える。
周囲から承認されるための自己有用感は互いに強く求めあっている。チーム全体でやる気を出し、創造力を発揮するのは支持される。
■ 日本の学校から「いじめ」は無くならない 内藤朝雄
政府やマスコミや教育関係者が、出鱈目な現状認識と対策をまき散らし、大衆がそれを信じている。
閉鎖空間に閉じ込め、濃密な人間関係を強制する環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。対策は、一人一人が対人関係を自由に調節できるようにすること。
責任を問うためには「いじめ」ではなく、屈辱・名誉棄損・暴行・強要・恐喝などの概念を使わなければならない。認定すべきは犯罪である。自動相談所に通告する。放置した教員を処分する。加害者の保護者は、損害を賠償する。学校の無法状態な構造を改革する。公的に責任を問う局面で犯罪認定すべきところを、「いじめ」扱いすること自体が不適切なのだ。その「いじめ」認定すら教育長はしない。
学校は集団生活を押しつける。学級の秩序を守ることに比べて、一人ひとりの人間は重要ではない。服装規則・給食指導・・・軍隊のまねごとが、学校では当たり前に通用する。社会では脅迫とされることが、先生が行うと指導になる。
宗教教団は、「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。政治集団も膜の世界がみられる。教育・宗教・主義は閉じた世界を作る。外部の正常な規範が働かなくなる。
学校という全体主義。理不尽なことが続くのは、人がそれを「当たり前」と思うからだ。
■ 結婚しない若者たち 赤川 学
日本の20年後は、独身者が人口の50%を占め、一人暮らしが5割となる社会。
合理で考えると結婚は遠のいてしまう。
人々の考え方や生き方が多様化すると「王道が再評価される」。
少子化の要因は、結婚しない人の割合が増えたこと。仕事と子育ての両立困難や経済的な困窮により、結婚したくてもできないと描かれることが多い。
若者が結婚しづらくなっている理由の一つは、格差婚。女性が自分よりも学歴や収入や地位が低い男性と結婚する傾向が少ないままだから。
■ 糖質制限を考える 磯野真穂
糖質制限派の主張。人類は700万年近くを狩猟・採集で過ごしており、糖質が食事の中心になったのは1万年前のこと。
ネアンデルタール人やアウストラロピテクス・セディバの歯に穀物を採集・調理していた痕跡があり、私たちの祖先が肉食中心であったという主張には疑義がある。
*アウストラロピテクス・セディバ
南アフリカ共和国のマラバ地方の洞窟で発見された化石人類の一種。この化石は、約180万年前に生息していたと考えられ、樹上生活に適応しながらも直立二足歩行が可能であったことが示されています。アウストラロピテクス・セディバは、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスの直接的な祖先にあたる可能性があるとされています。
そして、1万年は十分な時間である。乳製品を効率よく消化するラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人々が現れたのは、この数千年である。
もし、糖質を中心に食べることが、人類という種にそぐわないものであれば、昭和初期の多くの人は生活習慣病を発症していただろう。しかし、生活習慣病に多く罹るのは、糖質からの栄養摂取が2割減った我々なのだ。当時の日本人の日常生活における運動量は、現代人の10倍近かった。
■ 「ていねいな暮らし」への支持と批判 阿古真理
家事がら楽になり、時間に余裕ができたからこそ、「ていねいな家事」ができるようになった。家事に手をかけることは、趣味の領域に入り始めた。専業主婦を続ける女性たちが、自らの存在価値を求めたかのようだった。
仕事を持ちながら家事の責任を担う女性が増えた。
IT革命で生活のスピードは加速した。「スローライフ」への憧れが高まった。
家事が行き届いていない今に不満があるからこそ、他の人の「ていねいな暮らし」に腹を立てる。
■ 死んでまで一緒はイヤ 〜 夫婦別墓が増えた理由 井上治代
1990年、「夫と別墓」を希望する妻たちが3割以上いた。1990年代は、家からの自由を求めた死後離婚が多かった。
友達夫婦のような新しい関係性が進行する。妻が実の両親と一緒の墓に入ることも増えた。家族の個人化が起こった。
超高齢社会で、一組の夫婦に4人の親の介護が課せられる社会が到来している。夫は夫の両親、妻は妻の両親の世話をするのが精一杯。配偶者が亡くなって、配偶者の両親の分まで介護の責任を負うのは難しい。
■ 災害の避難場所が体育館であることへの違和感 大前 治
避難者の多くが体育館などでの生活を余儀なくされ、劣悪な環境に置かれている。日本の避難所は「災害関連死を生み出している。海外の避難所とは大きな落差がある。
避難者は、援助を受ける権利者(主体)として扱われるべきであり、その尊厳が保障されなければならない。それは国家の義務である。
日本の「災害対策基本法」には、自助努力を定める規定はあるが、住民が援助を受ける権利を有するという規定はない。避難生活も生活再建も、「自己責任」が原則であるという政府の姿勢。
■ 「フクロウカフェ」の実態 岡田千尋
自然界では、動物たちは体調が悪ければ身を隠し、体力の回復を待つ。フクロウカフェではそれができない。
フクロウカフェでは飛べない。高みから獲物を狙う梟にとっては配置位置が低すぎる。梟は単独駆動なのに、異常に近い距離に並べられる。聴覚が優れている夜行性の梟にとっては騒音だらけ。梟たちは、監禁されづけ死ぬのを待っている。
犬や猫のように人間が飼育管理してきた歴史が長い動物以外は、飼育自体を行ってはならない。日本人は野生動物との付き合い方を誤ってると捉えられ、批判の的になっている。
■ 差別とは何か 鈴木裕之
差別感情を持ったことがない人など存在しない。差別を生み出す精神構造は私たちがみな持っている。
人種・国民・民族・宗教・・・アフリカは、様々な差別の契機を内包し、時に言動として表面化する。
必要なのは理念でもイデオロギーでもなく、自身の心の中に自由な空間を広げてゆくことだ。
■ 褐色肌・金髪・青い眼のモデルが問う シャラ・ラジマ
南アジアでの色白信仰は日本とは比べものにならないぐらい根強い。インド大陸では、現住民族であるドラヴィダ系の人々を北方から来た色の白いアーリア人が支配してインダス文明が始まった。古代から白が黒を征服してきたし、そこから混じり合って出来た人種。
中南米の現住民族がスペインの支配を受け入れたのは、メキシコ古来の宗教に「白い神の伝説」があったからだとも言われる。
寛容になるのは日本人側だけでなく、混血や移民の私たち側も同じだ。自分も同じく彼らに対して寛容になっていかなければ、相互作用は生まれない。
