女房が平山先生のシルクロード美術館の会員なので、栃木県さくら市で開かれる平山郁夫展ご案内を頂いたのがきっかけ。栃木なら日光にでも行ってみようかと。私が得川家臣団を先祖に持つためです。ですが、私は家臣団に興味はあっても、純粋な弥生人である家康なんぞに興味は無く、日光はパスして宇都宮周辺の縄文人とその末裔と考えられる人々の足跡を訪ねることにしました。

20210228X5s002
 さくら市ミュージアム「平山郁夫展」。平山先生の絵は見慣れているのですが、あらためて、ぼかしによる遠近法の引き込まれるような感覚を楽しみました。だから平山先生の作品は大作が多く、その方が視覚効果が高いということに気づきました(今更ですが…)。

 ミュージアムには、縄文土器などが展示されています。北関東は、南回りと北回りの古モンゴロイドが出会った地域。土器の形や文様が多用で豊かな様が確認できました。

 私の先祖は群馬県の得川の辺が出自。彼の地は徳川家の発祥の地とされる。しかしそれは眉唾。けれども、我が祖先が北関東から出たことは確からしい。

 この美術館に、鋸など大工道具の展示がありました。縦引きと横引きの違いなど懐かしく、興味ぶかく見させて貰いました。

 美術館の外には、不動明王坐像。大きな木造の像がありました。光明寺の不動明王を鋳造する時に使った鋳型だそうです。

20210228X5s018
 こちらは、縄文時代配石遺構(縄文時代後期の敷石住居跡)。河原石を柄鏡状に並べ、石囲炉を置き、古い住居を作り替えて敷石住居にしたようです。

20210228X5s022大手口橋.JPG 20210228X5s042
 勝山城址。大手口橋と勝山城本丸跡。

20210228X5s067
 勝山城は、鎌倉末期に氏家氏によって築かれた鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)です。

20210228X5s077 20210228X5s080
 氏家駅に戻る途中で、中華屋さんへ。レバニラとラーメン、もちろん餃子も。宇都宮といえば餃子ですからね。それにしてもすごい量でした。女房と二人で頑張って平らげましたが、動けないほどお腹一杯になってしまいました。

 宇都宮駅に戻って、宇都宮城址公園へ。

20210228X5s242宇都宮城址 20210228X5s246
 清明台(櫓)。なぜこのようなものを復元したのかは不明ですが、「宇都宮の釣天井」の伝説が私の家に伝わった理由が解りました。

 私の家は得川家臣団の一角(江戸時代は旗本だったらしい)。本多家とは何かの縁があったようです。宇都宮城の主は本多家の流れで、家光の謀略により改易させられました。私の先祖はそれを悲しみ、情けをかけたようです。

 因みに、本多家に伝わる「蜻蛉切」は、「槍」というより細身の「鉾」です。武人は。突くだけの槍は「雑兵(お百姓)の武器」として忌み嫌います。馬上からでも「切る」ことができる「鉾」こそが武人の得物です。東博にその模造が展示されています。

 得川家臣団は、「籠城」を嫌い「野戦」の名人でした。弥生人のように、堀を巡らし守りを固めるようなイジマシイ戦い方は、武人のものではなくお百姓さんのものです。「侍」は「帰農」します。お百姓さんに「帰る」ことが許されていました。つまり、元々お百姓さんなのです。武人はお百姓さんにはなれません。我家は代々武人で、武蔵七党の流れを汲むと考えられています。つまり、代々縄文人の血が濃かったようです。

20210228X5s250
 さくら市ミュージアムにもあった龍。山車の飾りだったと説明されていました。

20210228X5s256
 火炎太鼓山車。この紋所は … 勢力絶倫の3ボールではありませんか。本多家もお盛んだったようです。

20210228X5s302 20210228X5s307
 公園には河津桜が咲いています。侍は「散りぎわ」を美学とするとか。武人は何があっても生き抜く力を貫きます。

20210228X5s321
 意外な出会いに感動した宇都宮城でした。ご先祖様も色々と差し支えがあって、徳川家の暗部というか実態というか、そういうものをキチンと伝えられなかったようです。ですが、子孫としてはちゃんと受け止めましたよ!