「つながる脳科学」 理化学研究所 2016年 ブルーバックス

 脳科学の最近の動向を知るには手軽な本。ブルーバックスはこういう本を出すのが使命なんでしょう。勉強をさせて頂きました。ありがとうございました。 以下はこの本の要約と引用です。


《はじめに》

 脳科学は、近年になってようやく、生きている動物の脳を細胞レベルで観察できるようになりました。

《1. 記憶をつなげる脳》

 海馬が壊れると「エピソード記憶を作ること」が困難になります。海馬は記憶を作る時に働いて、偏桃体では情動記憶が作られます。

 ニューロンは、何千個もの信号を受けて、膜電位が閾値を超えると、次のニューロンに信号を送ります。

 ある出来事を記憶することによって脳内に起こり・維持される変化を記憶の痕跡(エングラム)といいます。エングラムを保持する海馬のニューロン群を、エングラムセルと呼びます。

 記憶はニューロンの特定のネットワークとして存在し、そのネットワークを刺激して記憶を呼び起こすことができます。

 人間は過誤記憶を頻繁に作ります。今では、裁判の証言だけで重罪になることはあってはならないとされています。

 トランスジェニックマウスは、野生型が持たない遺伝子を導入したマウスです。遺伝子改変マウスの研究によって、遺伝子の機能を特定できます。

 遺伝子が蛋白質を作る時、プロモーターと呼ばれるDNA領域に、転写因子と呼ばれる蛋白質が結合します。プロモーターはスィッチです。そのスィッチに繋がった遺伝子が発現するのです。プロモータは、それぞれの遺伝子に特有です。

 オプトジェネティクス(光遺伝学)では、光に反応する蛋白質であるロドプシン遺伝子を使います。ロドプシンは動物の視細胞で働く蛋白質。古細菌の持つイオンチャネルとして働くロドプシンがあります。チャネルロドプシンを特定のニューロンに発現させると、光を当てるだけで膜電位を上げ下げできます。光遺伝学では、好きなタイミングでニューロンの活動をオン/オフできるわけです。エングラムセルをチャネルロドプシンで標識しておけば、記憶が想起されます。

 鬱病の治療として、根気強く患者さんと話して、楽しい出来事を思い出させます。すると、しばらく鬱状態から脱出できます。

 初期アルツハイマー病のモデルマウスは、記憶できないのではなく、想起できなだけだったのです。

 シナプスによる信号伝達によって、シナプスが強化され、伝達効率が変化します(ヘブの法則)。記憶に関係するエングラムセルのスパイン(シナプス後部の刺激を受け取る構造)の数が多ければ、想起し易くなります。ヘブ則に従わない例も多くあります。神経回路の可塑性は錯綜しています。

 情動や決断や注意にも、記憶が関わっています。

《2. 脳と時空間のつながり》

 空間は、我々の心が作るものです。空間認識のためのニューロン「場所細胞」が関わっています。ラットの頭の中には、絶対空間があります。それぞれの場所細胞は、異なる場所をコード(符号化)しています。脳内にニューロン群による地図があります。どの地図を雛形にして空間を認識するかは、主観によるものと思われます。

 マウスの脳に超小型の電極を埋入し、ニューロンの活動を計測します。海馬は、左右二つあり、数秒の短期記憶を長期記憶に移動させることと関わっています。動物にも、手続き記憶だけでなく、エピソード記憶があります。夢を見ている時は歩行中と同じ速さで、夢を見ていない時には圧縮されてリプレイしています。

 人間の海馬には、あらゆる語彙に対して、情報を統合するようなニューロンがあるようです。トム・クルーズの写真や記事だけに発火する「トム・クルーズ細胞」が見つかっています。

《3. ニューロンをつなぐ情報伝達》

 1000憶のニューロンのそれぞれに数万ものシナプスがあります。スパインは、構造が変わりやすいことが特徴です。脳内では主にグルタミン酸が神経伝達物質として使われます。軸索は、樹状突起と触れたところでシナプスを作ります。シナプスが連綿と繋がって、数珠のように見えます。

 可塑性は、変化が維持されることです。シナプスに可塑性を与える仕組みは二つ。シナプス間隙にシナプス小胞から神経伝達物質を放出する確率を変える。神経伝達物資が結合する受容体の数を変える、です。

 アストロサイト(グリア細胞の一種)は、情報処理に関与しています。アストロサイトは、シナプス間の可塑性の仲介をしています。アストロサイトによる制御は、シナプス強度のバラツキを増加させています。

《4. 外界とつながる脳》

 人に疾患に関わる遺伝子の7割はショウジョウバエと同じです。嗅覚情報を処理する神経回路は、どの動物でも似ています。人では鼻腔、昆虫では触覚は、匂い物質と結合する受容体を持っています。ショウジョウバエにも、ワーキングメモリー〜短期記憶〜長期記憶があります。

 二光子励起顕微鏡は、少しずらして走査することを繰り返して立体像を得ます。

 匂いに対する反応は、糸球体(一次嗅覚中枢の構造)のそれぞれの「重み付け可算」によって行動を決定しています。

《5. 数理モデルでつなげる脳の仕組み》

 多くの脳研究者は、脳が誤差逆伝搬を用いているとは考えていません。ゲームのように、有限の選択肢からなる課題については、ディープラーニングは人間を超えます。ディープラーニングは、特定の範囲の課題に絞って、人間より遥かに多い訓練データを使って学習します。

 情報伝達効率最大化の数理モデルは、ヘブ則に近い応答になります。

 独立成分分析は、未知の混ざり合った信号を選り分ける手法。何人かの会話の音声データのそれぞれの声を分離します。潜水艦のソナーなどにも使われています。

 物理でも生物でも、エネルギー一定の条件の下で、最大のエントロピーの状態(多様性)が選ばれる(最大エントロピー原理)。

《6. 脳と感情をつなげる神経回路》

 情動は、神経系や免疫系や内分泌系など様々な身体の仕組みが統合され作用の結果としての生理反応です。不快な出来事の記憶を「恐怖記憶」と言います。恐怖刺激によるすくみ(フリージング)などの反応の修得が恐怖学習です。

 偏桃体は、動物種を超えて非常によく保存された脳部位です。

 神経装飾物質ノルアドレナリンは、覚醒、ストレス反応、恐怖記憶、消去記憶に関与しています。ノルアドレナリンには二種類あり、情動の中枢である偏桃体に投射して恐怖記憶の形成に関わるもの。そして、認知の中枢である前頭前野皮質に投射して消去記憶の形成に関わるもの、です。

《7. 脳研究をつなげる最新技術》

 ライブイメージングで使われる蛍光プローブの多くは、下村脩氏のオワンクラゲの研究で有名な緑色蛍光蛋白質をベースにしています。カルシウムセンターは、神経科学では、神経活動の指標として用いられます。

 生体組織が不透明なのは、組織内部の屈折率が変化する結果。入射光が散乱してしまうからです。透明化とは、屈折率を均一化することです。

 分子一つ一つを少しずつ光らせ光活性化局在顕微鏡でマッピングしたデータを重ねていくと精細な画像ができます。

 どうやって生物が光を感知し、そして使用しているのか。光と生命の相互作用は興味深い研究分野です。

《8. 脳の病の治療につなげる》

 神経疾患は、神経の異常が明らかになっている病気。精神疾患は、神経に異常が見つかっていない心の病気です。統合失調症、双極性障害、鬱病などの気分障害が含まれます。

 精神疾患は、遺伝子と外部環境の相互作用によって発症します。脳のほんの小さな領域の病変が、大きな影響を引き起こす可能性があります。そして、脳部位同士のつながりとその機能を解明しないと分かりません。

 統合失調症には100個以上、双極性障害でも10個近くの関連遺伝子が見つかっています。両親と患者さんの遺伝子を比べて、患者さんだけが持っている変異に発症の手がかりが期待できます。

 カルシウムの殆どは、細胞内では小胞体やミトコンドリアなどの小器官に集中しています。膜電位が変化してカルシウムイオンが変化します。細胞内のカルシウム濃度が上がると、細胞内の蛋白質と結びつき、細胞の機能発現を調整します。細胞内の活動は、そうしたシグナルの伝播やリレーで制御されています。

 今の精神疾患の治療薬は、偶然に発見されたものばかりです。病因に合わせて開発されたものではありません。患者さんの状態を客観評価する検査法や、バイオマーカー(生体の情報に基づく指標)も開発されていません。

 ミトコンドリア病は、どの臓器の細胞で異常が起きるかによって、様々な疾患があります。

 マウスの「子集め行動」(目の前の赤ちゃんを巣に集めて温める)に着目しました。出産・子育ての経験のある雌鼠なら、目の前の赤ちゃんを短時間で集めます。雄でも交尾経験があれば観察できます。子集め行動をしない鬱状態は、雌にしかありません。卵巣を取った鼠には鬱状態が無くなります。鬱病は女性で二倍多いと言われています。

 双極性障害の患者さんは、視床上部にある視床室傍核にミトコンドリアDNAの変異が溜まっています。視床上部には、視床室傍核と手綱核と松果体が含まれます。いずれも行動のリズムやストレスに関係しています。双曲性障害の患者さんの死後脳で確認したところ、視床室傍核にミトコンドリア機能障害が確認されました。

 秒単位の情動と週単位の気分が、どのようにつながっているかは解明されていません。気分も、細胞の言葉で語れるようになる筈です。

《9. 親子のつながりを作る脳》

 脳地図が確立していない部位もあります。内側視索前野が子育てに関係していることは分かっていました。その本体が、内側視索前野中央部という微小部分であることが特定できました。

 雄では、偏桃体にある分界条床核菱形部が「子殺し」に関係します。一夫多妻制のハヌマンラングール、ゾウアザラシ、ライオン、ヒヒ、マウンテンゴリラなどでは、前のリーダーの子供を殺し、雌の発情を促します。但し、雌と交尾し同居する経験をした雄は、よその子でも殺さずに子育てをします。

 脳部位の活性は、遺伝子発現を調整する蛋白質であるc-Fosという転写因子の量で調べることができます。雄の子供に対する攻撃性を司る部位が特定されています。

 猫や犬でも親が子を運ぶ時に、子がおとなしくなることが知られています。親が抱っこして歩くと赤ちゃんが落ち着くのは、鼠でも人間でも同じです。これは、親に対する協力と考えられます。

 マーモセットは基本的には一夫一婦制で家族の絆は強く、育児も共同で行います。コミュニケーションも発達していて、10種類以上のコールを鳴き分けます。

 欲求が本能的であっても、うまく行動するためには経験が必要です。1回目から上手にセックスできる人はいません。野生動物でも初産では子供の死亡率は高くなります。

 人間の心の動きの大部分は意識できず、心の動きは小さい頃の親に対する愛着が関係していると、ジークムント・フロイトは示唆しました。