「学校って何だろう」 刈谷剛彦 2005年 ちくま文庫
学習支援のボランティアをしていると、こういう本は気になります。書いてあるのは、当たり前のこと。でも、多くの人はこの「当たり前」に目をつぶっているようにように思います。 以下はこの本の引用と要約です。
■ はじめに
教育や学校についての「べき論」では、多くの問題が隠されてしまいます。学校についての常識を疑ってかかることから議論は始まります。
■ どうして勉強するの?
学校の勉強は、将来何らかの役に立つだろう。学校は勉強するところだから勉強しなければならない。考える力を養う、考え方を学ぶ。
教育に関わる大人たちは、教育を受けることはいいことだ。どこ子にも同じ教育を受けさせることが良いことだと考えていました。日本の職業高校は、普通科目の授業時間が、諸外国に比べて多いのです。
誰もが高校に行くようになったころから、社会で役立ちそうもないことをどうして勉強するの?、と思う生徒が増えていきました。
2004年、日本には366万人の中学生がいます。ほぼ全部の中学生が、同じように勉強している。これは凄いことです。学校に行くのが当たり前。試験で高い点数をとる方が良いのが当たり前。この当たり前が、その仕組みと仕掛けが、生徒たちの行動を支配しています。
教室という場所は万国共通です。教室も劇場も、強制された自然な姿勢で、大勢の人たちが、前を向いて集中して見聞きします。前に立てば、みんながあなたの方を向いてくれます。そういう空間として教室は発明されました。
寺子屋では、子どもたちはそれぞれの学習をします。ある程度できたところで、先生のところへ行って直してもらう。
明治維新。学校という建物は、近代のものとして目に映った筈です。欧米風の教室を使って、どうやって教育するのか。知っている先生はほとんどいませんでした。マニュアルが必要になりました。[教室入場 → 着席 → 授業 → 退場]のぞれぞれの場面に様子を図説しなければ、教育できませんでした。
教室というのは便利な空間でした。先生の位置からは、教室の全体が見渡せます。生徒を注意したり、命令ができます。支配する側とされる側の形になっています。大勢の人を管理しながら、知識を伝えることが簡単になりました。
■ 試験の秘密
小学生のときは、試験は授業中にやっていました。小学校一年生のときには、先生から試験のやり方を教わります。中学校に入ると、試験の時間が別に作られます。試験勉強をするようになります。試験の時間に、一斉に同じ規則に従って試験を受けます。
同じ時間内に解答することは、試験の条件を同じにします。試験の要点は、受験生が公平だと思えるかどうかです。時間が同じであることが、同じ条件で試験を受けているという「公平さ」の保証になります。
時間やスピードに関係した学力の捉え方は、学校という仕組み基本です。学力は、一定の時間の中で発揮される能力です。
一定の時間内で能力を発揮することは、私たちの社会を反映しています。会社に行く時間が規定され、打合せや会議もいつどこで会うのか、何時間かが決まっています。一定の時間内に仕事をこなすことが求められます。短時間で生産すれば生産量は増え、コストは下がります。無駄のないように仕事をするためには、どれくらいの時間で何ができるのかが重要になります。学校の「時間」は、社会に慣れるための訓練の一環です。
農業や漁業では、もっと大きな時間の流れ、季節の移り変わりや、日の出日の入りや潮の満ち干など、もっと大きな時間の流れの中で仕事をします。時計の時刻よりも、自然の時間の方が大切です。
短期間で答えの出ないものもあります。正解がないものもあります。
アメリカの大学の授業では、学生たちにたくさんの本を読ませます。あらかじめ読んでおかないと、授業を聞いてもよくわからない仕組みになっています。
学校は、自分の名前を書く機会がたくさんあるところです。教科書など持ち物のほとんどに、名前が書いてあります。そして、生徒自身に名札もつけられます。提出物にも名前を書きます。
試験は、生徒を評価する便利な道具です。生徒たちを勉強に向ける仕組みでもあります。
■ 校則はなぜあるの?
中学校に進学すると制服を着るようになる。服装も持ち物にも規定や指定があります。生徒手帳には「生徒の心得」。中学校は、服装から行動まで、決まりがたくさんあります。
校則は、法律の上では、個人の自由に任されていることがらです。個人の人権を侵しているという意見さえあります。
制服は、職業や職務がすぐ判るようにします。学校の制服は学校に行かなければならないという決まりと関係しています。生徒たちを学校に繋ぎ止めるために好都合です。制服は、同じ学校の生徒であるという一体感や、学校に対する愛着を強めると考えられています。同じ集団の仲間という一体感を強めます。
先生に逆らおうと思えばできる理屈と腕力も備えている中学生をまとめる。そのために制服が有効な手段だと考えたのです。「服装の乱れは行動の乱れの始まり」と言われてきました。外見で判断し易くなります。
かつては茶髪は「非行の芽」でした。しかし、規則を緩めても非行は起きません。
校則を守ることは、従順な人間であることを示します。校則の中身が何であれ、守る守らないで、学校に対する態度を判断する基準になります。権威に従うかどうかの判断基準として、校則が使われます。校則違反は権威への反抗でした。
マスコミに「管理教育」を批判され、文科省からも厳しい指導の見直しが要請されました。その結果、女子高生たちがルーズソックスを履くようになりました。
権威に従う「正しい態度」を育てることが、良い大人になることにつながる。それが教育の仕事だと先生たちは考えています。先生は、将来のことを考えて指導します。
校則を生徒に守らせることは、生徒が先生の言うことをきくようにさせておくためです。生徒が先生の言うことをきいてくれなければ、手段生活は混乱します。
■ 教科書ってなんだろう
どんな知識を学ばせるべきか。文科省が「学習指導要領」を定め、教科書検定を行います。教科書には「文部科学省検定済」と書いてあります。
日本の中学は同じことを学ぶことになっています。先生の能力や意欲には差があります。何をどれだけ勉強するのかの基準が無い場合には、教える内容は先生ごとに違います。
国として学校で教えるな内容を決める「ナショナル・カリキュラム( 国家教育課程)」。1980年代から、国定課程を作ろうという動きが世界に広まりました。英国は取り入れ、米国は導入しませんでした。
日本の工業の強さの一因が、教育の結果としての平均点の高さだけでなく、バラツキの小ささ。学校の先生の給料も高く、優れた先生が多く、生徒からも尊敬されていることなどが注目されたのです。
近年の日本では、「画一的な教育」が問題視されています。製造業では、同じ能力の人々の存在が有利でした。創造の時代についていけなくなりました。
学校の授業時間には限りがあります。自分なりのものの見方や考え方は、個々の知識ではなく、知識のつながり(意味)が重要です。
知識の評価する試験問題は簡単に作れます。教えるのも、評価するのも楽です。
■ 隠れた教程(カリキュラム)
・時間を守る
チャイムが鳴り、席に着く。時間を守るという社会生活の規則を身につけます。人々が協力するには時間を揃えて行動することが大切になります。
・我慢する
授業を聞く気が無くても、じっと我慢します。したくないことでも我慢。忍耐力を身につけます。
・コミュニケーションのし方
場面場面によって対応にはいろいろなお約束があります。
・男子と女子
男女を区別して扱い、男女別々に何をすべきか何をすべきでないかを伝えます。
・自分の位置
他人との比較。学力など、自分の位置を教えます。
・学年と年齢
学年という単位で集団が作られ、年齢による区別が教えられます。
・日本というまとまり
日本という国が、ずっと昔からあったと思わせます。江戸時代の帰属は藩。「国語」は、日本の共通語。日本国中で誰もが同じことを勉強する。日本人というまとまりが強まります。
・学校と社会
社会の「あたりまえ」は、学校生活の約束事としても使われます。「あたりまえ」を疑わなくなります。
集団として活動するためには一定の規範が必要になります。学校は秩序を重んじます。
■ 先生の世界
かつて学校で起きる様々な問題は、生徒の問題だとみなされてきました。
先生の仕事は授業をすること。中学校の先生は週に16時間。教科指導のほかに、校務分掌=生徒指導や進路指導や教務や衛生やPTA対応。中学校には事務員が少ない分、事務仕事を先生が引き受けています。学校行事の準備や研修に出るなど、先生にはたくさんの仕事があります。
「生徒理解こそが教育の基本」が、教育に関わる人たちの間でよく言われます。人の気持ちを理解するといっても、理解しようとする内容や、理解する目的に違いがあります。教師は教師の立場から、その仕事に関連する範囲で、生徒の気持ちを理解します。生徒の側では「先生は、自分たちの気持ちを理解してくれない」と感じるのは当然です。
生徒は心底から「気持ちを理解して欲しい」と思っているかは疑問です。「話したいときに聞いてもらえる」そう思われるだけでも充分なのではないでしょうか。
学校で事件が起きると、「教師は生徒を理解しているのか」が問題にされます。先生は、子供の気持ちを理解する専門家ではありません。学校に関わりのない部分についての理解まで先生に求めるのは、気体のしすぎです。
教育をどの範囲で捉えるか。どの目的のためにどんな手段を使えばいいのか。その判断が曖昧であるほど、教師の仕事は広がっていきます。
教師の仕事を広げているのは、社会の側の期待です。大人になるまでに必要になることを、何処の誰が教えるのか。
米国の学校では、先生は学科を教えることに専念しています。生徒の相談にのるのはカウンセラー。クラブの指導は専門のコーチ。放課後や休暇中の教育は家族の責任。校外補導はしません。給料が支払われるのも、学校がある9月から6月まで。夏休み中は給料も出ません。欧米では生き方を教えるのは教会だと考えられています。
高度成長期。核家族化が進み、父親は仕事に忙しい。昔風のしつけではだめだ。学校以外には、子どもの生活にかかわりをもつ場所が少なる。その結果、学校がいろいろなことを、教育活動としてのみこんでいきました。
校内暴力の嵐が吹き荒れたのは、この時代のすぐ後。暴走族や家庭内暴力が大きく取り上げられるようになりました。学校の役目はさらに増えていきました。「心の教育」がその典型です。
先生は忙しくなっています。忙しさは、先生の心や体にも影響を与えています。
2004年現在、日本中に小中高あわせて91万人の教師。日本国民の130人に1人は学校の先生です。教師は、普通の人の職業です。学校に多くを要求しても応えられない。それは、期待し過ぎなのです。
■ 生徒の世界
アイデンティティ。どんな集団に属しているかが大切だと考えられています。生徒であることも、一つの地位(ステータス)。生徒「らしく」演じるかのように振る舞う。生徒らしくなる過程が必要です(生徒化)。
学校内の友人関係は、いやでも顔を合わせなければならない場合が多いのです。
学校の生徒であることは「みんな一緒」を求められます。学校は、一斉に何かをすることが多いところです。
生徒は一人一人評価されます。個性も尊重される流れにあります。
一人一人の違いを認めると、一緒に何かをする、協力し合うことが難しくなります。「個性尊重」と「生徒化」は逆の方向を向いています。
小学生は先生の言うことに従いやすく、個性を尊重しても自分勝手な行動にはなりにくい。高校生でも、個性と同調は鋭く対立しません。
中学校は義務教育。「みんな一緒」も大切です。自分らしさも尊重しましょう。「生徒化」の過程も複雑になっていきます。
友達の視線の気にし方。生徒は、ほどほどの「良い子」を演じます。生徒同士の関係では良い成績だけでは駄目です。
個性尊重をどうやって実現するか。先生もまだよくわかっていません。生徒の言い分に耳を傾けることと、生徒の言いなりになることとは、どう違うのか。
生徒は「誰に」受けようとしているのか。どう見られているかを気にするのも、成長の結果でもあります。役割を演じている自分と、自分そのものの違いにも気づくようになります。
1990年後半。キレる生徒が問題になりました。ストレスのせいだとか、テレビゲームの影響だとかいう説明もありました。
変化したのは大人の世界です。生徒の理解が教育の基本と言われ、理解されない生徒は不満を持ちます。先生は、厳しい指導ができなくなりました。学校で事件が起きると、生徒ではなく、教師が非難されます。学校の中の秩序を保つことは昔より難しくなりました。
大人たちからどう見られるかが重要でなくなる一方で、生徒同士でどう見られるかが重要になってきます。みんなから外れることが恐ろしくなりました。
日本の学校は、集団の力を利用して教育を行ってきました。
米国のように1クラスが30人以下なら先生の目も行き届きます。生徒の相談を受けるカウンセラーもいます。
■ 学校と社会のつながり
[良い成績 → 良い学校 → 良い職業 → 良い生活]自分の将来への展望と学校の成績が関係しています。成績が上がると、「幸せな家庭が持てる」と思うのです。
米国では成績に関係なく、夢を思い描きます。子どもを誉めて自信をつけさせることが良いことだと信じられています。社会の出るときに、夢だけを追いかける若者がいます。
学歴社会は、誰にでも成功の道が開かれていると、大勢の人が信じている社会です。
親の職業や学歴によって、子供の成績に大きな差があります。「生まれ」によって、格差が生じています。
個人の努力が強調される日本の社会では、自分の成功を自分のものだと考えやすいのです。
親は選べません。生まれる時代も場所も選べません。この偶然にどれだけの責任を感じるか。自分の目で世界を見て、自分の頭で考えて、何をすべきかのかを学ぶべきです。
■ おわりに
学校や教育の常識が根強くはびこっています。自由な議論ができなくなっています。
この本は、1997〜8年「毎日中学生新聞」に連載した「学校って何だろう」をもとにしています。
■ 文庫版あとがき
単行本が出たのは、「生きる力」の学習指導要領が発表される直前でした。その後、私自身も直接かかわることになりました。
2002年、「ゆとり」をやめ、「確かな学力」がスローガンとなりました。学力低下の兆しも見え始めました。
体験重視で始まった「総合的な学習の時間」も、中学校の先生を中心にはいしの声が強まっています。
文科省中心の仕組みを改め、地方分権の流れがあります。一学級あたりの生徒数、雇う先生の人数は地方が決めます。いくつかの地域では、公立の小中学校でも、通う学校を子供や親が選べる仕組みも、都市部を中心に広がっています。
大学では、入学店員に満たない私立大学が1/3を占めます。不登校や引きこもりは深刻になっています。育ちによる格差は広がっています。
将来に大きな影響を及ぼす教育。感情的な反応や、個人の体験や印象で様々な意見が飛び交います。
■ 解説 小山内美江子(「金八先生」の脚本家)
「総合的学習」の現場を感動とともに取材しました。2002年の改革の前から、「総合的学習」は学力低下の元凶だという声が高まりました。実績が評価される前に、文科省は見直しを口にしました。
